テーマ:子供の一言(495)
カテゴリ:むむ
三男が長男にそう言われ、大号泣してきました。
ことの起こりは、三男が布団を敷かずにさぼっていたのを怒ってのことだったようです。 三男に正当性があったとは言わない。では、その相手に向かって言っていい言葉だったのだろうか。 「あっちが原因なのはわかってる。だからって言っていい言葉だったの?」 「だから?こいつうざい。しつこい。むかついた。言ってどこが悪い。」 「じゃ、死んでもいいんだ」 「いいよ、べつに。」 うちの子に限らず、最近の子どもは、漫画やゲームやテレビの中で使われている言葉に麻痺しているところがあるのは否めません。 「死ね、クズ」の類は当たり前のように使われていると思います。 そこに重みがあると、気づいている子は本当に少ない。 日常的に我が子も使っていて、気が付けばただ「言うな」と言ってきました。 「相手の傷つく言葉、相手の気持ちになって」・・・と。 そんな抽象的な言葉が入るわけもなく、こんな騒ぎに至るのです。 言葉の暴力は、肉体的暴力に勝るとも劣らない殺傷能力がある。 人から生きる力、がんばろうとする心、楽しいと思う気持ちを奪い盗り、生きる気力を失わせる強大な負のエネルギーがある。 次男を例にとれば、1年前の彼は自分に自信がなく、常に後ろ向きでやる気がなく、へりくつばっかりこねて動こうとせず、人を苛立たせてばかりいた。 それは、私をはじめ家族や先生、友達からの負の言葉を沢山受けてきてしまったために、がんばる気力をそがれてしまったから。 でも、1年かけて、彼は変わらなかったか?そう気が付いたところからプラスのエネルギーを補っていった結果、彼は様々な努力ができる人になってはいかなかったか。結果として人を苛立たせない人になってはいなかったか。 言葉とは、そんな風に人を変える大きな力をもっている。 だからこそ、「死ね」と言われたら生きる気力がなくなって、本当に死んでしまうかもしれない。(死んでしまいたくなるでは止まらないかもしれない。) 「くず」と言われたら、人としての存在を否定されたように受けとめ、やっぱり死んでしまうかもしれない。 それで自殺してる人は多いかもしれない。 言葉には力があることを考えなくてはいけないのではないか。 ・・・次男の例をとりながら話したら、長男が泣き始めました。 やっと言ってはいけない理由がわかったのではないでしょうか。 そう信じるのも親の役目のような気さえします。 次に、横で兄に加勢した次男にも話をしました。 彼は5年になってから、クラスメイトを軽蔑するような言動があったと担任から今日聞き、三男の気持ちと重ね合わせて、兄に話した内容をもう少し噛み砕いて話した上で、自分もそういう言葉を受けたことはなかったかと問いました。 すると、 「誰に言われたか忘れちゃったけど、2年か3年の頃『お前は生きる価値がない』と言われて、死にたくなったことがある。明日からどうすれば良いのかわからなくなって、すごく苦しい気持ちになったことがある。」 と答えたのです。 これには心底驚き、ショックでした。 その誰かをかばっているのかもしれないし、本当に辛い出来事だったので自己防衛の忘却がおこったのかもしれません。 似たような言葉を吐きかけてはいなかっただろうかと傍らで反芻しつつ、次男のその当時の気持ちや、それが傷となって残っている今を考え、呆然としてしまいました。 そんな小さな子が「明日からどうしていいかわからなくなる」なんて。 死にたくなるよりもっとリアルに響いてきてしまいました。 それを聞いていた三男が、次男を思ってまた号泣しはじめました。 怖くてならない話だったようで、しがみついて泣きやめませんでした。 どうも短絡的な親なので、相手の気持ちを考えないところがあり、そうした子育てにもなってしまっていたと改めて納得してしまった出来事ではあります。 そしてもう一つ。 次男に 「どんなにつらい気持ちになったかわかるよ」 と言うと、 「お母さんもそんなことあったの?」 と問われました。 え?!同じこと? 私たちの時代もいじめはありました。 私も受けました。 でも「死ね」「クズ」「生きる価値がない」なんて究極の言葉を投げつけてきた人がいたでしょうか。 せいぜい机を倒されていたとか、缶ペンケースをストーブであぶられたくらいのもんで、気の強い私はなんぼのもんじゃいと思ってました。 ブスの私にも「ブス」とさえ言わず、言っていいことと悪いことがわきまえられていた時代だったのかもしれません。 そう、ばかじゃないの?むかつく!と怒りはしても、明日どうしたらいいかわからない、死んでしまいたい、とは決して思わなかったのです。 次男の辛さは「どんなにか辛かっただろう」という想像でしかなく、同体験からくる感覚ではないということがわかり、「わかる」という言葉の重みにも気づかされたのでした。 最後に、次男のことは気持ちを聞きだすことがたびたびあるのに、長男は自分がどんなことを嫌だと思ったりしているのか、してきたのかをちゃんと聞いたことがない気がしてきました。 長男には一番きつい思いをさせてきました。 言うことを聞いてやったことよりも、言うことを聞かせてきました。 日々長男が喋り倒している中にそんな事柄はふくまれておらず、何かのタイミングできちんと修復をしておきたいとしみじみ思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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