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カテゴリ:歴史
本日まで、東京有楽町の出光美術館で「伴大納言絵巻」の展示をやっていました。最終日ということもあって、えらく混んでいて、時間オーバー。最後の方は人混みの後ろからのぞき見る形ですり抜けて・・・・ガイドブック(目録?)を買い込みました。2500円・・・立派な大きな本です。
実はあまり美術は興味がないのだけれど、今回見たかったのは、「応天門の変」についての考察がいろいろ出ているとのことだから。 源氏物語絵巻とか鳥獣戯画とかと違い、これは実際に起こった史実を絵巻にしたもの。 事件が起こったのは、866年春。平安初期、清和天皇の時代。応天門が炎上し、大納言伴善男は、左大臣源信が犯人と讒言する。しかし天皇は藤原良房(天皇の母方の祖父にあたる)の進言に従い、調べたところ、源信は犯人ではないということになった。しかし、秋になり、市井での子供のけんかに親がでたことがきっかけで伴善男が真犯人ということが判明し、流罪になった・・・ 絵巻では、伴善雄は自分の出世のために左大臣を陥れようと火をつけることになっているが、史実では動機不明とのこと。また絵巻では子供のけんかがきっかけで、主の威光をかさに着る伴善男の家来に自分の子供を蹴られた舎人が自分がその夜見たことをしゃべってしまうのだが、これも実は史実ではないらしい。 この絵巻は後白河法皇の時代、つまり事件後300年ほどたって制作された。何故、そんなにたってから絵巻を描いたのか?そして上巻には詞書きが欠損している。しかも、もともとあった紙を切り取ったらしい。何故?なにか具合の悪いことでもかいてあったのだろうか? などの謎解きをしながら展示してあった。 推理小説だったら真犯人は、この事件で一番得をした人が怪しいということになっている。この場合一人勝ちは藤原良房である。事件後2年以内にここに出てきた主要人物は死んでしまい、良房のみ残る。そしてこれから後、藤原氏の栄華が始まることになる。 大納言伴善男は流罪になり、流罪先で死亡する。最初に犯人と名指しされた左大臣源信も死亡。良房の弟であり伴善男とも仲がよかったとされる右大臣藤原良相も死亡。 この絵巻でも、実は真の黒幕は良房だったとする表現らしきものがあるという。(直衣が同じとか)でも、ちょっと考えてみると、良房はこのときすでに太政大臣。自分より格下のものをこんなに陥れるものだろうか?個人的な感想では、このとき左大臣邸に使者として出向いたとされる頭中将藤原基経あたりもあやしいと思う。(この絵巻でも不自然に画像がカットされているし) 良房には娘しかいなかったので、甥の基経を養子にするのだけれども、実の息子ではないし。 (ちなみに兄は国経です)臣下で初めて摂政になったのは良房だけれども、関白になったのは基経から。このあたり結構あやしいとおもうのだけれどなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.05 23:54:06
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