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カテゴリ:内的な力
私の中には、おっとり君と熱血君が同居している。
子供の時代は、遊ぶ時、熱血君が大活躍。 社会人になってからは、おっとり君が主導権を握り、さぼり癖が身についた。 でも好きな人と一緒にいたり、好きなことをしている時は、熱血君の出番だ。 30、40歳代では、熱血君の主導権で思うままにやりたいことをやってきたので、全く悔いということはない。欲しいもの(といってもほとんど精神的、肉体的な技や強さなのだが)はものにしてきた。 そう、それは19歳の時に読んだ吉川英二の「宮本武蔵」の影響で、「我、事において、後悔せず。」がおっとり君をも抑えていたから。 そして、自分がこの世に何をする為に来たのか?がはっきり解ったのも熱血君が活躍したからだと思う。でもその間、おっとり君が裏方で支えていたのは事実だけどね。 誰でもこの世に来るには、目的がある。 大きくは愛の波動を高める為。その時々によって、学ぶ形は変わるが人類共通の課題だ。 私は思い切ったことをするのに何の抵抗も感じないで出来る。清水の舞台から飛び降りるなんて朝飯前だ。「こうなりたい。」とか「こうありたい。」という願望のために熱血君のすることをおっとり君が黙って見ているしかないからだ。 他の人達を見ていると、自分の中でほとんどが抵抗にあっていて飛躍出来ないでいるのを見ると、もどかしい思いをする。中には、自己実現をしようと踏ん張っている人に出会うと力を貸してあげたいと思うし、実際力になっている。 ところが、最近おっとり君の存在がどっしりしてきて抵抗力が強くなってきた。 伸びたいと思う熱血君に対して、安定が大切と主張するおっとり君の力、双方が譲らないことが多く、私は困惑することが多くなった。 熱血君の言うように行動してみると、達成感や充実感が得られるが、おっとり君と一緒に瞑想などしている時には、これまた平和に満ち満ちた世界を味わうことが出来て悪くないな?と悦に入っていることもある。 次第に、双方とも力を得てくるほどに、行動力が強くなっているように感じている。 差が大きい程、面白く楽しい人間になるように思う。 周囲に対しては、説得力が強く、言葉のパワーが強くなっているように感じる。それだけに慎重さも欠かせないなあ?とも思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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