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カテゴリ:音楽の力
私が、音楽の力に氣が付き、実践をはじめて、かれこれ20年になろうとしている。
当時、チェンバロの勉強も、ソロコンサートが出来るようになっており、ここらで一段階ステップアップしようと、以前から関心を持っていた、オイリュトミーに通い出した。 毎回、感覚が開いていくのが楽しく、3ヶ月経ったら、エーテル体、アストラル体、ガイスト(スピリチュアリティのことだが、オイリュトミーではドイツ語を使う)の区別が感覚として、また音楽で表現し、第三者にも解るようになっていた。 今までの、音楽学的なアプローチとは、まるで次元の違う音楽の捉え方や表現が楽しくて仕方なかった。 そんな折、知人が脳梗塞で倒れ、右半身麻痺になった。自宅療養になって奥様にお話し、シュタイナーの人智学医学講座をひも解きながら、エーテル体、アストラル体に働きかけながら、セッションを進めた。 セッション内容は、モーツアルト、ベートーヴェン、バッハのピアノ曲を中心に、曲に合わせて動くほうの身体を動かすだけの、単純な音楽を使ったリハビリだった。 言語障害があったので、言語訓練として、宮沢賢二の「雨にもまけず、・・」や聖書「ヨハネ伝」から「はじめにことばがあった・・・」など、言葉に力がありそうで、覚え易いことばを選んだ。 モーツアルトの音楽はアストラル的、ベートーヴェンのはエーテル的、バッハはガイスト的という作曲家の気質が、クライアントの気質のエネルギーに影響を及ぼすという考えである。 はっきりしていたことは、ベートーヴェンの音楽がクライアントにとって、常に心地良く感じられていた様子は、エネルギーの入り方で明確であった。 クライアントは、アコーディオン弾きから、ピアノ弾きになって良き時代の銀座で、仕事をしていた方だった。音楽はお手のものなので、喜んで取り組み、毎回良い方向に向かい、遂に一ヶ月経ったら歩けるようになった。 それまで家の中を車椅子で移動していたのが、動く左足の移動を音楽を使って筋肉運動をかねて練習しているうち、神経回路も繋がるようになり、歩くという運動がスムースになった訳だ。 当時はまだ、音楽療法の組織は何もなく、一切を手探りで進めてきた。クライアントの状態が唯一教科書という状況は、今も昔も変わらないと思う。 これに氣を良くして、病院でボランティアから、結果を出すことで、個人セッションで仕事として受け入れてもらえるようになった。 今では、日本音楽療法学会も5000人を越す会員からなる学会にまでなって、多くの参考文献が出まわるようになったが、最良の教科書は、クライアントであることに変わりはない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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