仁村徹と牛島和彦の妙な縁?
一昨日も書いた朝日新聞・埼玉版の連載企画「あの夏の記憶、高校野球埼玉大会 名勝負選」。読者から応募のあった名勝負の中から5試合を厳選し紹介している。第3回目の今日は、上尾高vs川越工高。<決勝>1979年7月30日 大宮県営球場川越工 000 000 000 =0上 尾 000 100 000 =1上尾高のエースは、右横手投げの技巧派・仁村徹。東洋大を経て中日に入団、その後投手から二塁手に転向し、野手として活躍した「仁村弟」のこと。現在は中日のスカウトをしている。この仁村、直球は120kmと速くないが落ちるシュートとカーブを得意とし、絶妙のコントロールを武器にしていた。後ろで守っている野手は、捕手が構えたコースを見ると打球の方向が予測できるほど、仁村のコントロールは正確だった。この大会中、仁村は54イニングを投げ、与四死球3、42イニング連続無失点という驚異的な記録を残した。優勝を決めた上尾高の野本喜一郎監督(故人)、「長かった一年だった」と語り、涙を流したという。この野本氏の言葉には理由がある。前年の78年、野球部員3年生の二人が不祥事を起こし、半年間の対外試合禁止の処分を受けていたのだ。普通ならモチベーションが落ちる状況で、選手たちは一日も休まず練習し、単調になりがちな紅白戦を丹念に繰り返した。その試練の末に掴んだ「甲子園行きの切符」、喜びもひとしおだったに違いない。上尾高の主将は福田治夫氏、現在は桐生一高野球部の監督をされている。------------------------------------------------------エース・仁村徹を擁する上尾高、甲子園の初戦で牛島和彦や「ドカベン」こと香川伸行のいる大阪・浪商高と対戦。9回まで2-0とリードしながら、勝利目前で牛島に同点の2点本塁打を打たれ、延長戦の末に敗退した。この仁村と牛島、不思議な縁がある。それは仁村の入団一年目(84年)のこと。初登板初勝利を挙げた時、救援で登場して仁村の初勝利をアシストしたのは、仁村から甲子園での勝利を奪った牛島和彦、その人だった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。