6411611 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

あま野球日記@大学野球

あま野球日記@大学野球

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2013.12.16
XML
テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史

■なぜか大和球士さんは、『野球百年』(時事通信社)に1971年(昭和46年)のことを何も書いていなかった。この年、オールスターでは江夏豊が9者連続三振の大記録を達成し、日本シリーズでは王貞治が山田久志からサヨナラ本塁打を放つなど、名場面が多かったのに。

仕方がない。大和さんの記事なしで書くことにしよう。
今回のタイトルは、「真夏の夜の夢、江夏豊の9者連続三振」。



■前年(70年)に心臓発作を起こして以来、ニトログリセリンを手放せなくなった江夏豊は、ある日、主治医にこう言われた。
「豊は女が好きだな。酒もやるわね。たばこもやる。麻雀もやめられんわな。おまえの体はただでさえ心臓に負担のかかることをしている。どうだ、四つのうちひとつだけやめないか。そうすれば命だけは保証する」。

その話を聞き、江夏は「酒をやめる」と即答した。9者連続三振の大記録を達成したのは、7月17日のオールスター第1戦(於、西宮球場)。宣言どおり酒こそ飲まなかったが、前夜から徹マン(徹夜麻雀)をして、この試合に臨んだ。
(ちなみに、「江夏の21球」で有名になった1979年の日本シリーズ第7戦前夜も麻雀をしていた)



■相手(パ)の1回の打者は有藤、基、長池、いずれも三振。2回は江藤(愼一)、土井(正博)、東田、これもすべて三振に仕留めた。これで6者連続。これまで5連続三振は、金田が3度、稲尾が1度、そして江夏自身が前年に1度達成しているが、6者連続は史上初。東田が三振に倒れると、スタンドの歓声が「ワァー」から「ウォー」に変わった。

そして、江夏自らの3点本塁打などで4点を奪った直後の3回、江夏がマウンドに上がると、球場が異常なほど静まり返っていた。江夏の証言によると、この静けさにより江夏は冷静さを取り戻し、大記録達成に向けて後押しした。

7番の阪本、続く岡村も三振。そして9番目の打者は加藤(英司)。この加藤はカウント1-1からキャッチャー後方にファールを打ち上げたが、捕手・田淵はすぐに追うのをやめた。江夏が9連続三振を狙っているため、邪飛の捕球をやめたのだ(なお、捕球しようとした田淵に、江夏が大きな声で制止したという説もある)。

結局、江夏は、加藤から空振り三振を奪い、9者連続三振の大記録を達成した。



■江夏の記録は、ここで終わらなかった。オールスター第3戦(於、後楽園球場)も三番手として登板して江藤から三振を奪い、前年のオールスターから15者連続三振を達成した。
そして16人目の餌食として打席に立ったのは野村(克也)である。以下、江夏の話。

「野村さんはバットをうんと短く持って、絶対に当てようとしてるのが見え見えでした。僕は
吹き出しそうでしたよ。野村というのは、こんなおっさんかと思った。三振を取られまいと必死だったんでしょうね」


そして野村は初球、真ん中に入った直球をバットに当ててセカンドゴロを打ち、江夏の記録は途切れた。後に、南海に移籍して野村監督のもとでプレーすることになろうとは、この時、江夏自身知る由もない。

(参考文献)『左腕の誇り~江夏豊自伝』(新潮文庫) 



1387187985183.jpg

(写真)2回裏、6人目の東田が見逃し三振。投手:江夏、捕手:田淵。~『スポーツ20世紀 名勝負伝説』(ベースボールマガジン社)より






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.12.16 23:34:37
コメント(0) | コメントを書く


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Recent Posts

Archives

2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2024.01

Comments


© Rakuten Group, Inc.
X