前回の続き。
■(前年の)45年度のロッテは強かった。濃人渉監督の指揮のもと、みごとパ・リーグで優勝をとげたが、選手権試合では、巨人4-1ロッテで、負けた。
そして連覇をねらった翌46年度も依然強く、首位阪急を追い越そうと執拗な追撃戦を展開していた。
7月13日、西宮球場で、首位阪急と2位ロッテの第10回戦がおこなわれ、6回まで
阪急4-1ロッテ
と、3点差をつけられていたロッテの7回表の攻撃中、大荒れになる事件が起きて、ついに、
-放棄試合
になった。この大混乱を引き起こした遠因は、前年にロッテが優勝して連覇の野望をもっていたこと、3点差ならひっくりかえせる自信をもっていたことにあった。この2つの要因なしには騒動は起こらなかったろう。 (以上、『野球百年』より)
■ことの起こりは、7回表、ロッテの攻撃で先頭・江藤愼一の三振を巡る判定から(阪急投手は足立光宏)。江藤がカウント2-1から4球目を見逃し一度はボールと判定されたが、すぐあとにスイングしたと、砂川主審から三振と判定されたのがきっかけ。濃人監督をはじめ、ロッテ・コーチ陣と駆け寄ってきた審判団がホームベース付近でこぜりあいとなった。
大和さんは「4球目は外角すれすれ。江藤のバットはおよび腰になりながら、ともかくも止まった」、そして「主審砂川は”ボール”と宣告したが、間髪入れず老練捕手岡村が、くるり主審に顔を向けて”振った、振った”と二言。すると砂川が、岡村の抗言の魔術にひっかかったように”スイングアウト”と判定をひるがえした」と書いた。
■その後、審判団は試合再開を再三要請したが、ロッテはこれをはねつけ、試合の中断時間は35分に達した。意を決した砂川主審は阪急の各選手を定位置につかせてプレーボールを宣告。そして1分後、放棄試合が成立。阪急の勝ちが決まった。
翌日の1971年7月14日付の朝日新聞(聞蔵2ビジュアルより、写真も)には、当時すでに野球評論家となった、かつての名二塁手・苅田久徳のコメントが掲載されていた。
「放棄は選手にプラスにならない。残念だ。だが審判にも責任がある。話し方いかんでロッテを納得させることが出来たかもしれない。審判団はいち早く再開させる義務がある」。
しかし、監督やコーチ・選手が激高しているさなか、審判が納得させる術とは何か? ボクは理解できないし、答えをぜひご教示いただきたいものだが・・・。
■ロッテ側が放棄した理由は、当時ロッテのオーナーだった中村長芳が「試合を放棄しろ!」と指示したとも伝えられているが、真偽はわからない。中村とは、後に太平洋のオーナーに転じて、ロッテとの遺恨試合を仕掛けた人だ(→こちら)だが、この中村の試合後のコメントを朝日新聞が伝えている。
「(顔をひきつらせて)ベンチの上で観戦していた。砂川主審のジャッジは素人ながら納得いかなかった。その思いは選手も同じだろう。この直後に江藤君の問題が起きた。アピールによってストライクと認定した。これほどかたよったジャッジは初めてだ。放棄試合も仕方なかった」。
この中村発言を、朝日は痛烈に批判していた。
「冷静さをまったく失っている中村オーナーは、審判団をなじるうらみつらみ、さすがの報道陣も『これでも球団責任者か』とあきれ返った表情だった」と。