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あま野球日記@大学野球

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2015.03.08
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テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:社会人野球

■1964年(昭和39年)の都市対抗は、日通浦和とコロムビアが決勝を戦った。そして8回に浦和が同点に追いつくと、直後に奇襲のスリーバイトスクイズを決めて優勝した。橋戸賞は浦和の田中章投手(千葉経済高)。

この大会は、史上初となる特別賞も授与された。受賞したのは8連続安打を達成し、東京熊谷を準決勝進出にけん引した黒江幸弘(のちに透修、立正佼成会からの補強選手)。さらに黒江は大会通算18打数12安打、6割6分7厘で首位打者賞にも輝いた。この時、チームメイトには小川健太郎(のちに中日、黒江と同じ立正佼成会からの補強)がいた。


黒江透修。読売のV9時代、ボクの大好きな選手だった。愛称は「豆タンク」。今から8年ほど前、ロッテ浦和球場でイースタンを観戦中に、偶然トイレで黒江さんと出くわしたことがある。黒江さんは当時ロッテ二軍監督をされていて、「あの、私はずっとファンでした」と言いかけたが、場所が場所なだけに躊躇してしまった。あの時、ちゃんと挨拶していれば・・・いまだにそのことを悔いている(*_*;



DSCN5412.JPG

(写真)授賞式。中央が黒江透修。(『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』ベースボール・マガジン社)



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(写真)社会人時代の黒江。いたって普通の構えだが、プロ入り後はグリップエンドが顔の高さにあったはず。(出典:同上)



DSCN5413.JPG

(写真)巨人時代の黒江の写真がなかなか見つからず。やっと見つかったのはこれだけ。昭和45年の日本シリーズ第1戦でサヨナラ本塁打を放ち生還するシーン。(『激動の昭和スポーツ史 プロ野球』ベースボール・マガジン社)


 

DSCN5414.JPG

(写真)ついでにもう1枚。昭和45年当時のスタメンと、キャプションに説明あり。しかしこれはイレギュラーな打順と思う。黒江の3番は異例、2番と9番が多かった。そして柴田は1番、王は3番。(出典:同上)

 

 

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Last updated  2015.03.08 20:36:53
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