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あま野球日記@大学野球

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2016.01.16
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テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史

前回の続き。
http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201601070000/



■「大正力」こと正力松太郎がなぜ、初代コミッショナーに就任後、わずかな期間で慌ただしく解任されたのか? 『鈴木龍二回顧録』(ベースボール・マガジン社)によれば、コミッショナー就任が昭和24年2月5日、解任が翌25年5月2日。その理由は、GHQによる圧力があったからなんですね。このことを説明するためには、多少の補足を要します。

 

■正力は開戦時に大政翼賛会総務だったため、A級戦犯の第三次戦犯指名となり逮捕、巣鴨プリズンに収容されて、公職追放処分を受けました。そして22年9月1日に出所するも、公職追放処分が解除されたわけではなく、また、巣鴨に収容されるまで社長を務めていた読売新聞社は2度にわたる読売争議で鈴木東民ら共産党員一派が支配し、古巣の読売の、正力に対する扱いは厳しかった、いや、冷たかった。

そんな正力の姿を憂えたのが、当時日本野球連盟の会長だった鈴木龍二でした。「プロ野球生みの親の正力をこのままに放っておくわけにはいかぬ!」とばかりに鈴木惣太郎、野口務らと画策、正力を初代コミッショナーに推すことを決め、24年2月23日、丸の内の工業倶楽部に、社団法人日本野球連盟の役員が出席、GHQのマーカット少将立会いのもとに、コミッショナー制度が発足し、正力の初代コミッショナーに就任しました。



■まだ国内にGHQの影響力が残る中、鈴木らの根回しも万全でした。キャピー原田(当時、マーカット少将の副官)を通じて、GHQ上層部の了承も取り付けていました。ところが、GHQ内に混乱があったのでしょうか、「正力がコミッショナーという重要な公職につくのは追放令違反」だとして問題視されるに至りました。つまり、正力の就任は認めぬ、と。

その後、鈴木らはあれこれとGHQの判断を覆すべく動くのですが、反応は芳しくありません。
「正力さんにはまことに気の毒なことをしたことになったわけだが、正力さんから『あまりぐずぐず言うのもどうか。面倒くさいからやめよう』と言いだして、コミッショナーを辞任しました。これが24年5月2日のことでした」。(『鈴木龍二回顧録』より)

※辞任と書いてありますが、これは事実上「解任」でしょう。



<関連記事>

鈴木惣太郎 http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/20090705/

キャピー原田 http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201006270000/






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Last updated  2016.01.17 00:50:56
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