テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史
前回触れた鶴岡一人さんについて、もう少し掘り下げたいと思います。今回から数回に分けて。参考書籍は『私の履歴書ープロ野球伝説の名将』(日経ビジネス人文庫)。 まだ海外キャンプが珍しかった昭和31年のオフ、鶴岡監督率いる南海の選手たちはハワイでキャンプを張りました。ケチ球団=南海のイメージを払拭する目的もあって、親会社は相当(財政的な)ムリしての敢行でしたが、親の心子知らずとでも言いましょうか、肝心の選手たちはまったくの観光気分。残念ながら目に見える成果はなし。ただ、たった一つ光明があったとすれば、それは野村克也捕手の成長でした。帰国後の記者会見で鶴岡は「野村がうまくなった。これは期待してくれ」と、これ、ばかりは胸を張ったのです。 当時、南海には松井、小辻、筒井の3捕手がおり、この3人がハワイに帯同するはずでした。が、新たに誕生する高橋ユニオンズへの選手供出のため、南海から筒井を放出。その代役として参加したのが野村でした。入団後に肩を痛めブルペン捕手の傍ら、打撃を活かすために一塁を守っていた野村でしたが、ハワイの温暖な気候が幸いしてすっかり肩が治り、正捕手の座を奪うに至りました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.28 23:43:18
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