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あま野球日記@大学野球

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2020.04.20
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テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:社会人野球
​​ ​1949年(昭和24年)の都市対抗野球では、別府星野組のエース・荒巻淳が注目を浴びた。なぜなら昨年も都市対抗で大活躍するも、準決勝で三塁打を放ち三塁に滑り込んだ際に肩の骨を骨折し、決勝戦を欠場することになり優勝を逃した。​

 そんな経緯もあり、今回は、別府星野組にとっても、荒巻にとっても”捲土重来”を期す大会だったが、試合を重ねるたびスピードを増す好投を見せた荒巻の星野組が優勝を果たした。荒巻のほか、台北工を出た​関口清治​​が4番、その前を立教大出のプレーイング・マネージャー​​西本幸雄​​が打つ強豪星野組だったが、この優勝を最後に解散し、10人ほどの選手たちが揃ってプロ野球に移った。

 この時の事情について、西本の証言がある。
「別府星野組はトンネルを掘るのが得意な会社だったんだけど、時間が経つうちに規模が縮小された。給料の遅配もあったし、会社の経営状態が良くないのは分かっていた。ノンプロの場合は3~5年プレイしたら野球から離れることになる。会社の状態を考えたら、一緒に野球をやっている選手に『おまえらはここに残れ』とは言えないわけや。だから都市対抗の前に『頑張って、みんなで優勝しよう。優勝すればその時、働き場所ができるから』と、尻を叩いたね。あの頃、ノンプロで野球をやっている選手がそう簡単に転職できる状態ではなかった」。(※1)
 
 星野組は見事に優勝した。そして選手たちのプロ新球団・毎日オリオンズへの移籍も実現した。これは都市対抗の陰で西本が窓口となって毎日と交渉を進めてきた成果。選手たちを路頭に迷わせることなく”転職”に成功した。選手の中には西本、関口のほか、32歳の今久留主淳や弟の功、そして荒巻らがいた。もっとも荒巻は元々プロから注目された投手であり、毎日が直接交渉した。​​​​
 
 この経緯に興味のある方は「西本幸雄、職業野球選手になった頃」​​をご覧ください。​​
​ ​
​ 

 さて、荒巻淳(あらまき・あつし)のこと。​

​ 大分商時代、1942年(昭和17年)夏、文部省が主催したいわゆる”幻の甲子園”大会に出場した。当時から注目された投手で「球が速いだけでなく、縦にストンと落ちる変化球」も評価が高く、細身の体から小躍りするようなフォームはファンを魅了、甲子園の活躍が大いに期待された。​

 ”幻の甲子園”に興味のある方は、​​”幻の甲子園”と呼ばれる、正史に記録されない大会があった​​をご覧ください。



 しかし1回戦の仙台一中戦では投球が乱れ、スコア2-3でまさかの初戦敗退となった。「荒巻は、相手が格下の東北の学校ということでナメてかかり、試合前夜は夜更かしし、さらに上半身裸のまま寝たため完全に体調を崩していた」とチームメイトの証言もある。(※2)
 
 この失敗を教訓としたか、大分商卒業後、大分経済専門学校(現・大分大学)に進学、「全国専門学校野球大会」で優勝投手となり、社会人野球の強豪・別府星野組に入団した。この頃から、大リーグインディアンスのボブ・フェラーのニックネームにちなみ「和製火の玉投手」の異名をとった。

​ 毎日に入団後は、1年目から大車輪の活躍。いきなり26勝8敗、防御率2.06という数字をあげ、新人王、最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得した。2年目以降もエースとして活躍し、プロ通算173勝の成績を残した。


(※1)『悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ)

(※2)『幻の甲子園』(早坂隆著、文藝春秋)

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 今から75年前、1945年(昭和20年)11月23日、終戦から3か月後、神宮球場でプロ野球が復活しました(東西対抗戦)。まだ生きていくこと、食べることさえままならない時であっても、ついに開幕した野球に触れたいと多くの人が集まりました。今は新型コロナウイルス禍で野球を見ることが出来ませんが、いつか晴れ晴れとした表情で球場に行くことが出来るでしょう。その日を夢見て今は辛抱ですね。

「この試合、終戦直後の大混乱期に開催されたにもかかわらず、4万5千人の大観衆が詰め掛けた。神宮球場で行われるのは1942年(昭和17年)以来5年ぶりではあったが、内野席を超満員にし、外野席も7割がたが埋まったという」

「一体どこから4万5千人もが集まってきたのであろうか。(中略)単純な野球愛というよりは、敗戦から立ち上がろうとする日本人の活力の発露と見る。野球人に強靭な精神力があったことは頼母しく、日本人に祖国再建の活力がみなぎっていたことはいよいよ頼母しい限りである。野球人、野球ファンが『ニ位一体』となって野球復活は快速調に進むことになる」
       (『真説・日本野球史』(大和球士著、ベースボール・マガジン社刊より)



荒巻淳.JPG

 
(写真)別府星野組時代の荒巻淳 ~『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』(ベースボール・マガジン社)



西本幸雄 悲運の闘将.JPG

リンクなし



激動の昭和スポーツ史 社会人野球.JPG

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昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち【電子書籍】[ 早坂隆 ]



​​在宅勤務など家で過ごすことの多い今だから、ゆっくりと靴でも磨いてみてはいかがでしょう。
ストレスを解放して心を落ち着かせ、あらたな活力が湧く効果が期待できます。











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Last updated  2020.04.20 22:35:06
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