テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史
1943年(昭和18年)初め、日本野球連盟・鈴木龍二理事長が陸軍に呼ばれ、ボールやストライクを日本語に言い換えるよう要請された。連盟は賛否両論あったものの、野球存続のため要望を受け入れた。
当時、野球関係者たちは、「野球存続」が第一だった。どんな理不尽な軍部の要求であっても、それが「野球存続」につながるならば、それを受入れた。 2月13日、連盟は不本意ながらも各球団に通達を送った。 「皇国二挺身シテ戦ウ野球戦士トシテ職域ノ誠ヲ尽スベシ」。 そして野球用語は、日本語に統一された。例えば、 ストライクは「正球」、ボールは「悪球」、アウトは「無為」、セーフは「安全」、ファウルは「圏外」、フェアは「正打」。面白かったはファウルチップ、この言葉まで日本語にする必要があったのかと思うが、これを「擦打」と名付けたのは言い得て妙。 また、職業野球とは別に東京六大学野球連盟も日本語化を行っていて、ファウルチップは「即捕外圏打」(そくほがいけんだ?)と名付けたそう。日本語というよりもはや中国語に近い!(笑) ちなみにこの1943年(昭和18年)の最高殊勲選手は巨人中堅手の呉昌征だった。嘉義農林出身の「人間機関車」。 (写真)呉昌征は中央、向かって右が白石敏男、左が須田博(スタルヒン)~『激動の昭和スポーツ史』(ベースボール・マガジン社)より。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.12 20:37:40
コメント(0) | コメントを書く
[日本野球史] カテゴリの最新記事
|
|