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あま野球日記@大学野球

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2020.05.11
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テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史
​ 1943年(昭和18年)初め、日本野球連盟・​鈴木龍二​​理事長が陸軍に呼ばれ、ボールやストライクを日本語に言い換えるよう要請された。連盟は賛否両論あったものの、野球存続のため要望を受け入れた。

 当時、野球関係者たちは、「野球存続」が第一だった。どんな理不尽な軍部の要求であっても、それが「野球存続」につながるならば、それを受入れた。

 2月13日、連盟は不本意ながらも各球団に通達を送った。
「皇国二挺身シテ戦ウ野球戦士トシテ職域ノ誠ヲ尽スベシ」
 




 そして野球用語は、日本語に統一された。例えば、
ストライクは「正球」、ボールは「悪球」、アウトは「無為」、セーフは「安全」、ファウルは「圏外」、フェアは「正打」。面白かったはファウルチップ、この言葉まで日本語にする必要があったのかと思うが、これを「擦打」と名付けたのは言い得て妙。

 また、職業野球とは別に東京六大学野球連盟も日本語化を行っていて、ファウルチップは「即捕外圏打」(そくほがいけんだ?)と名付けたそう。日本語というよりもはや中国語に近い!(笑)


 ちなみにこの1943年(昭和18年)の最高殊勲選手は巨人中堅手の​呉昌征​​だった。嘉義農林出身の「人間機関車」。



呉昌征.JPG

(写真)呉昌征は中央、向かって右が白石敏男、左が須田博(スタルヒン)~『激動の昭和スポーツ史』(ベースボール・マガジン社)より。








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Last updated  2020.05.12 20:37:40
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