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あま野球日記@大学野球

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2021.12.13
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テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史
​​ 1942年(昭和17年)は大物選手の応召が相次ぎ、各球団とも戦力の劣化は免れなかった。
​ 大和球士さんは、こうおっしゃる。​
「戦地へ去った選手でチームをつくったほうが残存チームより強かろう、とさえうわさされるようになった」と。​

​​ そんな状況下、巨人が4年連続で優勝を果たした。この年、優勝へけん引したのは明治大から入団した豪速球投手・藤本英雄さんと、そして滝川二中から入団したばかりの青田昇さんの打棒だった。​​

 青田昇さん。現役生活16年、通算の打率.278、本塁打265本。そして記録だけでなく、その奔放な言動から”じゃじゃ馬”と呼ばれるなど「記憶」にも残る選手だった。

​​ 以前、豊田泰光さんが日経紙にこんなコラムを寄せていた。青田さんと長嶋茂雄さんにまつわるエピソード。​​

 身長170cmと小柄ながらポンポンと本塁打をかっ飛ばす青田さんに、ある時、不振に悩む若手選手が相談に訪れたことがあったという。場所は球場、相談者は若き日の「ミスター・ジャイアンツ」こと長嶋さん。

​ 「どうやったら、もっと打てるようになるでしょうか?」長嶋さんが、恐る恐る先輩・青田さんに尋ねた。すると青田さん、何を思ったか何も答えずスタスタとゲージに入り、打撃投手の投げる球を次々にスタンドに打ち返してみせたという。その意図はわからないが、青田さんの打球に度肝を抜かれた長嶋さん。ますますしょんぼりして落ち込んでしまった・・・。​

あの陽気な長嶋さんが「しょんぼり」そして「落ち込んだ」というオチが面白いが、青田さんの奔放さは長嶋さんをはるかに凌いでいたようだ。

 思ったことは迷わずに発言して、武勇伝もあまたある。ついつい煙たがられて5球団を渡り歩いた。もちろんボクは青田さんの現役時代を知らないけれど、野球の解説者として、また、テレビ番組『ミユキ野球教室』の歯切れのよい語りっぷりは、今はやりの「忖度」とは対極にあって痛快だった。​



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Last updated  2021.12.13 21:15:54
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