テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:日本野球史
1941年(昭和16年)、自身が監督をつとめる朝日軍が最下位だったが、その年の東西対抗戦の西軍監督に就いたのは竹内愛一。
この竹内は一種独特の人気を持っていた人物。大和球士さんがおっしゃるには、 「かつて早大の投手時代に、大切な試合にマウンドを踏みながら、おりから上空を通過した飛行機に見とれて、しばしば投げることを忘却したり、ある夏地方の中学にコーチに招かれたとき、制服制帽の早大選手らしい服装をしていかず、夏羽織に角帯、白足袋、カンカン帽というお店の若旦那風の服装をして出かけて、出迎え人を唖然とさせた怪傑だった」。 そして「プロ球団の監督としてもスタンドのお客さんに愛嬌をふりまいたりしてサービスに努めたから、その人気は花形選手に匹敵するものがあった」。 世の中の常識といわれるものに縛られず、そしてファンへのサービス精神・・・、 いま球界の話題をさらっているビッグボスを思い出してしまった。 (写真)社会人野球・全京都時代の竹内愛一。~『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』(ベースボール・マガジン社)より。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.03.06 20:54:58
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