「伝説の10・19」から32年も経ったんだ・・・
岩隈久志投手が現役引退を表明した。NPBでは近鉄ー楽天ー巨人を渡り歩き、かつて”近鉄バファローズ”に在籍した選手がまた一人、現役生活を終えた。近鉄入団時は「虫歯が多い、歯医者へ行け!」と先輩たちから盛んにイジられていたと記憶している。そして近鉄消滅時は、義父の広橋コーチがいた楽天へ移籍したけれども、中日も岩隈獲得に動いたそう。当時、中日の編成担当は井手峻さん。現・東京大学硬式野球部監督。 偶然かもしれないけど、今日10月19日という日は近鉄バファローズ史に残る、いや日本野球史に残る名勝負のあった日。1988年10月19日、近鉄対ロッテのダブルヘッダーが川崎球場で行われた。近鉄はこの戦いに連勝すれば優勝できたが、初戦にギリギリで勝利したものの2戦目に引き分けて優勝を逃した。たまたま生中継していたテレビ朝日(朝日放送)は、熱戦のあまり番組「ニュースステーション」でも生中継を続行し、CMを入れることさえ忘れて?延々と中継した。「伝説の10・19」と呼ばれている。ボクは川崎球場の三塁側でこの戦いを目の当たりにしていた。俺たちのパシフィック・リーグ 近鉄バファローズ1988 球界とパ・リーグを変えた1988年と「10.19」を総力特集。 最近、ベースボール・マガジン社からは『近鉄バファローズ1988』というムック本が発売され、書店店頭に陳列されている。表紙は阿波野秀幸。近鉄バファローズの1988年を象徴するのは阿波野か。なるほど、流石! 異論はない。ただ10・19ならば、印象的なシーンがほかにもある。 それは、ボクにとっては第一試合、3-3の同点で迎えた9回表・近鉄の攻撃時に凝縮されている。例えば、以下の3つのシーン。1.規定により延長はない、引き分けはダメ、絶対に勝たなければならない近鉄。一死二塁の場面で、鈴木貴久がライトへ安打を放ち「やった勝ち越しだ!」と歓喜したが、代走・佐藤純一は三塁をオーバーラン。そして三本間に挟まれて憤死。結果、二死二塁になった。最大のチャンスが潰えたように見え、近鉄ファンに埋め尽くされた川崎球場は「あーあ」と、大きな嘆息に包まれた。(写真)『近鉄バファローズ大全』(草思社)より。2.しかし、このままでは終わらなかった。代打・梨田昌孝は牛島投手のシュートに差し込まれたものの、センター前にポトリと落ちる幸運な安打。二塁走者の鈴木が生還して勝ち越しに成功した。塁上でガッツポーズを繰り返す梨田。現役最後の打席にして、人生初めてのガッツポーズだった。(写真)NHK『ヒーローたちの名勝負』より。3.生還した鈴木は、迎えた中西太ヘッドコーチと抱き合い、そしてそのままグラウンドに転がり、土にまみれて喜び合った。(写真)『近鉄バファローズ大全』(草思社)より。 あれから32年が経った。憤死した佐藤は現在NPBの審判員、佐藤のミスを帳消しにした梨田は、今年新型コロナに襲われた。実は、この2人には10・19に続く因縁がある。2016年5月、楽天対オリックス戦で、一塁塁審だった佐藤は判定を巡り、楽天の梨田監督(当時)から抗議を受けた。梨田の抗議は長時間に及んだため、佐藤はその抗議を遅延行為と見て、規定に基づき梨田を退場を命じた。当たり前といえば当たり前なのだけれど、こういったエピソードは面白い。