指輪を身につけて
薬指の結婚指輪が水に濡れ、みるみるうちに細い細い一本の糸となり指にまとわりつく。暁の夢、こんなはずではなかったのにと、泣きたい気持ちで目覚めると、からだはぐっしょりと重い。ふたりで求めた結婚指輪は、まだ刻印もされぬまま桐箱にしまわれているのだけれど。見遣った薬指には、婚約指輪が変わらぬ輝きを放つ。卓上には、湯気の上がる番茶と、それぞれのパートナーから贈られた指輪の光る、わたしたちの両の手、4つ。2年ぶりに帰国した友人が、京都に私を訪ねてくれた日。昼下がり、ランチタイムもとうに終了した、和食屋で。夫への気持ちが変わったわけではなく、ただただアメリカ暮らしの過酷さゆえに考えた別れを、その都度乗り越えて今、静かに強く、彼女は言う。「ふみとどまることのできた理由を、ことばで説明することはできない。でも、ただやっぱり、夫を離れることはできなかった」。「ゾンネも、ドラちゃんを離れることはできないよ」。どのひとことも出せぬままに、それが、説明不可能な、しかし事実であることを、そしてその事実からは逃げられないということを、知っていると、私は思った。ふたりで涙を落としながら、かけがえのない相手と出会ったわたしたちが、とうとうたどりついてしまった場所のことを、ひたすら思った。ことばが、そのちからをまったく失ってしまう場所のことを。贈ってくれるという本の一節を、いちばん好きな言葉だと、彼女は指差す。"I may not have gone where I intended to go,but I think I have ended up where I intended to be."彼女の苦難のひとつひとつを思ってみる。築き上げたアメリカでの暮らしと成し遂げたことをまた、思ってみる。私の道はこれからで、長くなるだろう。いつか、この言葉を好きだと言えるときへと、行き着くことができるだろうか。