"GET ME AWAY FROM HERE,I'M DYING"
むかしドラちゃんがまだ居なく、世界にたったひとりで生きていると思っていたころ、崩れそうになるといつもこの歌を聴いていた。どこまでも軽いタッチのとことん明るい調べにのせて繰り返される"GET ME AWAY FROM HERE,I'M DYING"という言葉に沈み込み、『這い上がってどこかにあるはずの私の場所をさがさなきゃ』と、必死でもがいていた。「もうこの歌は聴かなくていい」とは、いつか、ドラちゃんが言ったことだ。まだ私たちが、ワンルームの狭いアパートに住んでいたころに。「崩れそうになったときにはいつでもこうして抱きしめるから。ゾンネを決して崩れさせはしないから。だからもうこの歌は聴かなくていい。」と。その日から今まで、BELLE AND SEBASTIANを手にとることなしに、私は生きてくることができた。ドラちゃんの居ない夜。ひとりだったころにひとりで聴いていた音楽を順々に、何年かぶりに聴いてみている。ひとりだったころ、ひりひりする思いを抱えて、『私の場所』をさがしていた。それは、なんとしても、私だけのための誰かと共に在る場所でなくてはならなかった。私が、誰かのためだけの私になるために。妹のことばをいつも胸の奥で反芻する。「ドラちゃんと出会う前、お姉ちゃんが幸せなのは見たことなかった」。BELLE AND SEBASTIANの声も言葉も調子も昔と変わらない。でも私はもう、そこに閉じ込められずに、それを聴くことができる。勇気を出す必要や不安や面倒くささの全てをそこに抱えることのできる、懐の深いものであるべき、『ふたりで生きてゆくことの幸せ』。それでもやはりそこからなくなりはしない『ひとりで在ること』。ふたりで生きることは、ひとりで在ることを可能にしてくれると気付く。そして、ふたりで生きるためには、ひとりで在ることを耕してゆかなくてはならないということにも。ドラちゃんの居ない夜、私はひとりでいろいろ考える。きっかけは歌の大じてん(平成8年)なんだけど。…『8年』て、いろいろなことがおこる長さやなあ…。カラオケ行きたいなあ…。