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カテゴリ:明治期・自然主義
『生まざりしならば・入江のほとり』正宗白鳥(新潮文庫) さて「正宗白鳥」であります。 なかなか、かっこいい名前ですよねー。 以前このブログでちょっとだけ触れましたが、筑摩書房『現代日本文学大系』全97巻においては、極めて高い評価を得ているお方であります。 しかしそんな高評価のお方ではありますが、そもそも、この人の名前の「知れ渡り度」って、どんなもんなんでしょーねー。 もちろん、日本文学の大学の先生なんかは「知れ渡り度」100%でしょーなー。 大学の文学部出身者ならびに在学生で、さて、30%くらい? 多すぎる? 中学校・高校の国語の先生で、うーん、やはり70%くらいは要りますよねー、だって、商売道具でしょ、日本文学史の知識って。 一般のサラリーマン並びに主婦。これは明かです。0%。一般人は極めて健康的であります。そんな細かいことにはこだわりません。 さらに、文学史上の名前は知っているとしても、実際に読んだことがある人となると、その数字は、おそらく「つるべ落とし」のように、くるくると回りながら落ちていくと思われます。 そう考えますと、今回のこの本の読書なんか、まさに限られた・選ばれた人にだけ許される禁断の果実の様なものですね。 うーん、思わず背筋が伸びます。 「選ばれてあることの恍惚と不安と我にあり」 っちゅうフレーズは、確か太宰の小説で読んだ覚えのある引用句ですが、さらなる出典は忘れてしまいました。毎度毎度ええかげんな事ですみません。 さて、正宗白鳥氏の小説ですが、もちろん私は、今回初めて読みました。 えー、こんな感じでぼそぼそと「文学史上の相対的マイナー作家・作品」を読むということをしていますと、マイナーな作家の中でも、実は2種類の作家に分かれるということが分かってきます。こんな具合です。 その1。 読んでいて、やはり微妙にメジャーじゃないよねーという感じはしつつも、でも、もっと読まれててもいいよねー、と思える作家群。 その2。 その時代においては何らかの斬新さなど持っていたのだろうけどねー、今となってはねー、と、やはり様々な点で「歴史的な存在」となっている作家群。 さて、この正宗氏は、僕は、(少々残念ながら)後者の気がするんですねー。 この人の持ち味は、残酷なまでのニヒリズムに裏打ちされた、無思想・無解決そして客観描写なんですね。 でも今読むとこのニヒリズムは、その時代の社会状況や文化状況、あるいは時代の風習に乗っかかった(或いは一般常識故に反抗した)「気ままさ」でしかない感じが非常にします。 例えば、作者の思考とかなり重なると思われる登場人物の表すニヒリズムの形は、結局は、その時代の男女差別や障害児を巡る社会的環境などの限界を前提としての情動に過ぎない、という気がします。 だから、今読んでいると、その辺がとても辛いんですね。 力としては明らかに弱い、と思われます。 たとえば、漱石なんかにも、確かにそういった差別・偏見という「ねじれ」は作品中に見られるのですが、漱石の場合はそれらを瑕疵としない、もっと力強い、根元的な問題意識があるように僕は感じます(やや贔屓目がありそうですね)。 ただ、文学の歴史的発展段階の一つとして、例えばこの正宗氏の高度な(クールな)客観描写が、今日の文学表現の様々な揺籃であることも、やはり間違いないと思います。 そう考えると、やはりこの人も、とてもエライ人であるわけですね。 ちょっと読みにくかったですけどー。 ということで、今回は以上。 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.19 08:03:21
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