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カテゴリ:明治期・写実主義
えー、二葉亭四迷をテーマに考えている三回目であります。 そもそも取り上げていた小説はこれでした。 『其面影』二葉亭四迷(岩波文庫) これを読んで、僕はかなり感心する一方、沢山の疑問にぶつかり、あげくに混乱してしまいました。 その原因の一つは、作者に対するもので、前回はそれを中心にあれこれ考えてみました。 今回は、『其面影』そのものの持つ「混乱」について考えてみたいと思います。 (2)作品の混乱 この作品、途中までは、一般的評価にもあるそうですが、『浮雲』の「二番煎じ」のように進みます。 中年の大学教師・小野哲也は、妻と義母から冷たい扱いを受ける生活を営んでいますが、妻の腹違いの出戻りの妹・小夜子に道ならぬ恋心を抱きます。 ここまでなら、『浮雲』の二番煎じといわれても仕方ないと思いますし(二番煎じでも僕としては結構面白いんですがね)、こんな展開は、例えば漱石の『それから』なんかとも、なんとなく似ていると思います。 しかし、この後、あっと驚く展開が起こります。 それは、小野哲也があっさりと小夜子と肉体関係を持ってしまうんですねー。 さらにあろう事か、小夜子を「妾」のようにしてしまうんですねー。 これには僕は驚きましたねー。 これは漱石なら絶対に書かなかった展開です。 また少し脱線しますが、漱石のこんな所を嫌った作家が、坂口安吾なんですね。 安吾は、漱石には「肉の臭い」がしないと批判しています。 もっともこの「肉の臭い」という表現は、『それから』中のものですが、それを取り上げて漱石自身の「偽善」と批判した安吾も、いかにも安吾らしいですね。 確かに漱石作品には一貫して「肉の臭い」はせず、これはまた鴎外なんかとは違うところであります。 でも『それから』にも、もちろん代助と三千代が肉体関係を持ったとは書かれていませんが、三千代と会った夜に代助は赤坂の待合いで一泊し、女と遊んだことがきっちりと書かれてあります。 さてここで、またまた僕の連想は飛んでいくんですが、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』はとても爽やかな小説です(そうでもない、という研究が近年あるそうですが)。 この作品の良さの一つは、一人も人が死なないことと、セックス・シーンのないことです。 と書いたら、ご存じの方はすぐに、それは『風の歌を聴け』の中に出てくる、「鼠」の小説に対する「僕」の評だと気がつくと思いますが、これがそのまま『風の歌を聴け』の評になっていると書いた文章を読んだことがあります。 でもその後、村上春樹は、例えば『ノルウェイの森』で山ほどのセックスを描くし、例えば『ねじまき鳥クロニクル』でうんざりするほどの殺人を描きます。 どこが違うんでしょうね。漱石と村上氏。 資質でしょうかね、時代でしょうかね。 では、話題を戻して、次回に続きます。 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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