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2009.08.18
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カテゴリ:明治期・写実主義

  『当世書生気質』坪内逍遙(岩波文庫)

 近代日本文学の生みの親ともいえる作品が、本作であります。
 これは例えば、西洋音楽に模して考えてみれば、どうなりますかね。
 やはり、バッハでしょうかね。

 でも、本作は、実作としては、近代日本文学の生みの親とは、評価されていませんものねー。そんな評価をされているのは、なんと言っても、二葉亭四迷の『浮雲』ですよねー。

 じゃあ、ヘンデル?
 バッハと同い年ながら(1685年生まれだそうです)、バッハの場合は「生誕300周年」とか言われるのに、「ヘンデル生誕300周年」とは、言われなかったんじゃないでしょうかね。
 そんな、ちょっと「差別的」扱いを受けているヘンデルであります。
 しかし、私の経験から申しましても、多分、ヘンデルの音楽は、バッハの音楽の20分の1くらいしか聴いていないと思われます。(もちろん偏向した私の音楽嗜好においてでありますがー。)

 でもそんなことって、一杯ありますもんねー。
 今年は「太宰治生誕100周年」であります。
 同時に「松本清張生誕100周年」は、まぁ、言われますね、時々。
 でも、「大岡昇平生誕100周年」は、ちょっと聞かないですよね。
 そんなことないですか?

 さてとにかく、近代文学の生みの親である坪内逍遙の小説であります。
 ちょっとこの辺の事情を、高校生用日本文学史教科書で見てみますと、こんな風なまとめになります。

    坪内逍遙………『小説神髄』……『当世書生気質』
    二葉亭四迷……『小説総論』……『浮雲』


 左から、作者・評論・小説実践作と、なりますね。
 我が家には、以前にも紹介致しました筑摩書房『現代日本文学大系』98冊という、「本棚の肥やし」がありますが(またこの「肥やし」が場所ふさぎなんですー)、その第一巻を取り出してみますと、ありました、『小説神髄』。
 この巻は「政治小説・坪内逍遙・二葉亭四迷集」となっております。
 あ、ありました、『小説総論』。

 で、ぱらぱらと覗いてみて、初めて気がつきましたが、両者は、ぜーんぜんちがいます。
 何が違うかというと、ボリュウムが、です。

 『神髄』のほうは、おそらく文庫本にすれば、150ページくらいの長編評論です。
 一方、『総論』のほうは、文庫本でも10ページくらいでしょう。
 まず、「量」で見る限り、両者は全く別もんです。

 ついでながら、私は我が高校時代をふと思い出したんですが、教科書の記述って、こんな不親切なところがあるんですよねー。

 上述のように並べられると、このふたつは、質・量共に、相似形かと思うじゃないですか。「質」はともかく「量」で見た場合、現物に当たって初めて、全然別物だと分かるんですよねー。
 実に不親切です。だから僕の高校時代の成績が悪かったんです。(ちがうちがうー。)

 で、「質」ですが、『総論』の方は読んでみました、頑張って。
 「頑張って」というのは、この文章が極めて読みづらい「擬古文」であるからです。
 ほとんどよくわかりませんでしたが、頑張って「音読」をして、読み通しました。

 内容はというと、うーん、今となっては大したことは書かれていません。
 たぶん、小説には「テーマ」があって、「テーマ」に従って「写実」することが大切だと言うことが書いてありました(たぶん)。なるほど、尤もですね。

 一方、『総論』は、パス。
 こんな擬古文の評論文の150ページは、ムリ。また、いつか。

 その代わり、実践作を以て逍遥氏の文学理論を学ぼうと、これもほぼ擬古文ながら、「それでもまぁ小説だから」と、半分ビビリながらも読み始めたのでありました。

 そして、やっと読み終えました。
 「擬古文」かつ文庫本290ページということで、気合いを入れて読み始めましたが、確かにその気合いの必要な部分もありましたが、多くはさほど大変な読書でもありませんでした。
 だって、評論と違って小説は「世態風俗」を描くものですから。

 では、その報告ですが、次回に続きます。


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Last updated  2009.08.18 06:52:50
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