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2009.08.19
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カテゴリ:明治期・写実主義

  『当世書生気質』坪内逍遙(岩波文庫)

 上記作報告の第2回目であります。今、上記作を読み終えました。

 前回に続いて、今回も高校生用日本文学史教科書(ブック・オフ105円本)を元に、一般的なこの作品の評価をまとめますと、こんな風になります。

  1.勧善懲悪的な文学観を排し、人間内面の追及を目標とした。
  2.文学の独自性を主張した。
  3.方法として、写実主義を提唱した。
  4.が、全体に戯作調を脱しきれなかった。


 えー、本作を読み終えまして、上記の4点の解説は、それに賛成するか否かは後述するとしましても、とにかく論点としては、実にしっかり押さえられてあると感じます。
 さすが教科書ですね。(前回の教科書批判はどこへ行ったか。)

 以下、ある程度この論点に従いつつ、考えてみたいと思います。

 (1)「戯作調」とは、なにか。

 「いきなり4番からかい」とお思いの方もいらっしゃいましょうが、特にその理由はありません。
 ただ、やはり読み始めて一番に感じるのがこれだからです。
 しかしそもそも、「戯作調」というのは、一体どんな「文体」を指すんでしょうか。
 私が気がついた(こんなんが「戯作調」なんかなー、と思った)のがいくつかありますが、こんなあたりです。

 a・(  )がやたらと多く、その中に、小さい文字二行で「ト書き」のような作者の解説が入る。
 b・同様に、各章の終わりに、その章の作者の解説や解題が入る。
 c・章の変わり始め、人物紹介の際、必ず細かな着物の紹介から始まる。
  (尾崎紅葉の小説なんかはこんな感じですよね。次の「浪漫主義」ですが。)
 d・だじゃれや地口がしばしば出てくる。例えばこんなの。

 「放蕩卒業の証書と、マスタア色男の爵位を以て、学者の尊号に交換するたア、感々服々土瓶の煮音、蒸気の沙汰とはいはれない。」

 これ、割と上手な表現ですよね。
 そう言えば、二葉亭の『小説総論』にもこんな個所がありました。

 「小説に勧懲、模写の二あれど云々の故に、模写こそ小説の真面目なれ、さるを今の作者の無智文盲とて、古人の出放題に誤られ、痔疾の療治をするやうに矢鱈無性に勧懲々々といふは何事ぞと、近頃二三の学者先生切歯をしてもどかしがられたるは、御尤千万とおぼゆ。」

 ははは。こういった諧謔は、漱石にも「遺伝」していますよねー。

 さて、この「戯作調」らしき特徴のまとめですが、まず一点目。
 結局これらの表現は、どのような傾向だと理解することができるのでしょうか。

 考えてみたのですが、きっと、きっちりした専門的な説明なんかもあるのだろうと思いますが、私なりにまとめますと、こういう事ではないでしょうか。

 「戯作調」とは詰まるところ、作者の存在が感じられる書きぶりである、と。

 次に、まとめの二点目ですが、はたしてこの「戯作調」は、逍遥だけが引きずっていたものなんだろうか、ということです。

 ここんところが、本作の「否定的評価」の中心となっています。
 でも、上記の「戯作調」の特徴は、多少の違いはあれど、例えば二葉亭四迷の『浮雲』にも見られますし、『書生気質』から二十年後の、漱石『吾輩は猫である』にも見られます。

 さらに少々穿ったことを言えば、太宰治の『道化の華』なんかにも見られるじゃないですかね。
 (そう言えば、太宰治ら「無頼派」は、「新戯作派」とも呼ばれましたっけ。)

 そう考えていきますと、『書生気質』の「否定的評価」の原因は、「戯作調」を脱しきれなかったからではなく、結局「言文一致体」じゃなかったから、つまり「擬古文」であったからではないでしょうか。

 うーん、我ながら、舌鋒鋭い論理展開ですなー。(え? そんなことないって?)

 では、残りは、さらに次回に。


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Last updated  2009.08.19 06:51:26
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