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カテゴリ:明治期・写実主義
『当世書生気質』坪内逍遙(岩波文庫) 上記作読書報告の三回目であります。以下の論点に従って報告を致しておりました。 1.勧善懲悪的な文学観を排し、人間内面の追及を目標とした。 2.文学の独自性を主張した。 3.方法として、写実主義を提唱した。 4.が、全体に戯作調を脱しきれなかった。 で、最初に「4」をやっつけました。この評価は正しくない、と。(詳しくは前回の内容をご覧下さい。) では、残りを一気にやってみたいと思います。 ところで、『書生気質』の論点を、なぜこんなにきっちりと箇条書きにして表すことができるかと申しますと、実は坪内逍遥がそう書いてくれているんですねー。 本作後編の始めに「緒言にかふるに」ということで、前編出版後の幾つかの「書評」に対する作者の反論として、上記の「1~3」が、本作のテーマとして書かれてあります。 このテーマの元、私は頑張って書いたし、後半も頑張って書くつもりだ、と、まぁ、書いてあります。これは、作者の意図がとてもよくわかって、便利ですね。 ではそれに従いつつ、考えてみますね。 (2)作者の意図は、作品にて成就されたか。 まずいきなり大いに気になるのが「1」の「勧善懲悪の排除」であります。 これって、素朴にストーリーを読んだだけでも、全然排除されていませんよ。 最後の章「第二十回」は、あたかも推理小説のクラスマックス、名探偵の謎解き場面の如く、「勧善懲悪」がとても「スムーズに」生かされた形で「大団円」が描かれています。 「看板に偽りあり」です。 というより、わたくし、思うんですが、「勧善懲悪の排除」なんて、そもそもできないんじゃないんですか。現在に至るまで。 現在は少し置いても、例えば漱石『虞美人草』しかり、有島武郎『或る女』しかり。みんな勧善懲悪の大団円じゃないですか。 だってこれがなければ小説読者は「フラストレーション」になってしまいますよ。この「大団円」こそが、読者の「カタルシス」なんじゃないですか。 もしこれを本当に排除したいのなら、手は一つ。作品に悪人を描かないことですね。 あるいは、「ペンディング」ですかね。 一連の漱石の作品なんかは、この「ペンディング・エンド」が多そうですね。 『門』『彼岸過迄』『行人』『道草』なんかがそうですね。 『三四郎』なんかは「悪人無し・エンド」タイプ。 『坊っちゃん』はもちろん「勧善懲悪」で、『それから』『こころ』なんかも、やはり「勧善懲悪・エンド」だと思います。 というわけで、「勧善懲悪の排除」は、おそらく今(二十一世紀)に至るまでできていない。それは小説の自殺行為である、と。(というのは少し乱暴な論理展開で、本当はこのことは、もう少しきっちりと考える必要があると思います。) 次に「2」の「文学の独自性の主張」ですが、僕は実はこれこそが本作の最も優れた業績ではないかと考えています。 後の時代に、例えば、激しい学園紛争の中、誠実に文学の意味を問い続けた高橋和巳は、同じテーマを、(自らの専門の中国文学から仮借しつつ)「文学=無用の用」と考えました。 同時期、『豊穣の海』全四巻を書き終えた三島由紀夫は、次の自らの課題をとんでもないところにおきながら『小説とは何か』で、「小説=動物園のアザラシ」と比喩しました。 このように逍遥が取り上げたこのテーマは、多くの「誠実」な追随者を生み出し、そして今後も産み続けるとても重要な問いかけでありましょう。 この問いかけがあるというだけで、この作品は、第一級の評価を得てしかるべきと僕は考えます。 最後に「3」の「写実主義の提唱」ですが、これについては、私も特に一般的評価と異なる意見は持ちません。提唱そのものはすばらしいですが、「戯作調」の分析でも触れましたが、本作においては不十分であったこともその通りでありましょう。 ただこれにつきましても、この後の特に「自然主義」の諸作家が、実に日本的・ユニークな小説の探求を通して、あらゆる表現に耐えうる「近代日本語」を確立させました。 この「近代日本語」の先達として、坪内逍遥に高い評価が与えられることは、言わずもがなのことでありましょう。 以上、後半、やや駆け足になりましたが、今回の報告は、ちょっと(私としましては)気合いが入ってしまいました。 こんなに、気合いを入れてはかえってダメなのにねー。 というわけで、少々反省。では。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.20 06:44:29
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