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2009.08.25
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  『土と兵隊・麦と兵隊』火野葦平(新潮文庫)

 今回はなかなか書きにくいチョイスを、ということは、本当はいろいろと考える事のできる大切なチョイスを、してしまったなー、と正直なところ思っています。

 仕方ないので、とりあえずまずは、搦め手でいってみます。
 何度かこのブログで話題にした『筑摩書房・現代日本文学大系・全98巻』に、火野葦平は入っているんですね。それも、石川達三とコンビで、一冊二作家配当です。

 以前もちょっと考察しましたが、この全集の「一冊二作家配当」というのは、まずまずの高い評価です。評価のレベルで言うと、上から3ランクめです。
 明治以降、昭和30年代くらいまでの、すべての現代日本文学作家が対象でのこの評価ですから、かなり高評価だと言っていいと思います。

 一方、例の高校国語用『日本文学史』副読本によりますと、この作品は(少し微妙な書き方ですが)一応「国策文学」と評価されています。

 ここからズバリと本質に入っていこうと思うんですが、「国策文学」を書く事は、文学的にどういう意味を持つものなんでしょうか。
 国家と文学の関係ですね。

 まだ新しいめの話題ですが、村上春樹が、イスラエル政府からの文学賞を受け取りましたね。ちょうどイスラエルの、アラブの国への空爆が激しかった時期ということもあって、村上春樹が賞を受けた事に対して、賛否両論、実にいろいろな意見が交わされました。

 今更わたくしごときが、その上に付け加えるものなどほぼ何にもないんですが、あの時、村上春樹は受賞スピーチで「壁と卵」に例えながら、自分は頑強な「壁=システム」ではなくて、壊れやすい「卵=人間」に寄り添いたいという趣旨の発言をしましたね。

 (この発言についても、「感動した」という意見もあれば、「偽善的だ」という意見もありましたが)これなんかも、一つの「国家と文学」にたいする立場表明ですね、一応は。

 ちなみに(いつものようにやや脇道に逸れますが)、僕はあのスピーチを聞いて、おやっ、と思いました。
 今を遡ること70年近く前に、ほぼ同じ内容の事を書いた作家がいたんですね。
 太宰治『畜犬談』です。この中で、太宰を擬した主人公は、こう言っています。

 「芸術家は、もともと弱い者の味方だつた筈なんだ。(略)弱者の友なんだ。芸術家にとつて、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけぢやない。みんなが、忘れてゐるんだ。」

 さて、冒頭の火野葦平の作品であります。
 太宰治や、村上春樹の立場に立つと、この作品は、どう考えても批判されざるを得ないでしょう。しかし、実際は、もちろんそんな単純なものではありません。
 それぞれの時代、それぞれの作家の立場、などがまるで違うからです。

 (とはいえ、『畜犬談』と『土と兵隊・麦と兵隊』は同時期です。前者が昭和十四年発表、後者二作は昭和十三年発表です。うーん、太宰って、「偉い」?)

 火野葦平の二作の内容は簡単に言うと、戦場に於ける日本軍の「英雄潭」と「ちょっといい話」です。小説ではなくて、ドキュメントですね。就中『麦と兵隊』は百二十万部のベストセラーになったそうです。

 戦争とか国家とかに対する、作家独自の判断力も批判も、全く書かれていません。しかしそのことについては、時代から言って「やむなし」とは、思います。現代の倫理で、それは断罪すべきものではないと、充分分かります。
 にもかかわらず、そう言った大局に対して全く無批判の描写を読み続けると、それはなかなか辛いものがあります。

 うーん、困った。
 何が困ったかというと、この火野葦平氏の作品は、「国策文学」の中でも優れていたから、この様に現在でも読まれるわけですね。もっとひどい作品は残ってすらいないわけです。つまり、優れているからこそ、歴史の中で批判にさらされるという、ねじれた状況がここにあるわけです。僕の困惑は、これなんですね。

 で、困りまして、私は上述の『筑摩書房・現代日本文学大系・全98巻』を、何となくぱらぱらと捲ったりしていました。すると、「月報」に各作家の「研究案内」があり、そこにこんな事が書かれているのを発見しました。(「研究案内」筆者は、岩尾正勝氏。)

 「平野謙が『ひとつの反措定』で、火野もまた『侵略戦争遂行のすざまじい波に流された一個の時代的犠牲ではなかったか』と書き、そして政治の犠牲という意味では火野は小林多喜二と同位置にあると論じて論議を呼んだ。」

 うーん、さすがに、平野謙ですねー。恐ろしいような直感力ですねー。
 (ただし、火野葦平は実は、「転向作家」でもあったんですね。そのことを理解していたら、小林多喜二との接点の発見も、さほどアクロバティックではないかも知れません。)

 ともあれこの視点で立論していけば、少なくとも上記の僕の困惑は何とか解決が付きます。
 国家と文学、古今東西、古くて絶えず新しい課題であります。
 何度もペンディングをしつつ、しかし決して手放してはいけないテーマだと思います。


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Last updated  2009.08.25 05:39:07
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