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カテゴリ:昭和期・後半女性
『蛇を踏む』川上弘美(文春文庫) 『溺レる』川上弘美(文春文庫) 先月の終わり頃に、川上弘美の文庫本を何冊か買いました。半分はブックオフですが、半分は新刊で買いました。 こんな本の買い方は久しくしなかったのですが、なんとなく気合いを入れて買ってしまいました。(大層に言って、たかが文庫本なんですけどー。) なぜ川上弘美かというと、そんなに意味はなく、少し前に小川洋子の本を読んだ後、次は川上弘美だなと、ほとんど脈絡もなく思ってしまったからであります。 たぶんもう十年以上前(十五年以上前?)になると思うんですが、ちょうどそのころ「売り出し中」か、ぎりぎり「新鋭」と言われる範疇の女性作家を、ちょっとまとめて読みました。 そのころの女性の注目作家と言えば、笙野頼子・松浦理英子・多和田葉子が三羽がらすだったと思います(この人選は、僕のオリジナルじゃなく、たぶん誰かの文を読んでの事と記憶しています)。 その次のグループあたりに、おそらく小川洋子・川上弘美あたりが位置していたと思います。(うーん、この「番付」、かなり偏っているような気もする一方、今でも、ある側面をきっちり捉えている気もします。) で、先日小川洋子を久しぶりに読んだものだから、何となくそのまま次は川上弘美かなとなってしまい、買ってしまったという顛末であります。 とりあえず芥川賞受賞作の『蛇を踏む』から読みました。(これは再読。今回改めてブックオフで買いました。) 読み始めてすぐに、あ、せやっ、この人、小川洋子と全然違うかってんや、と、当たり前のことを思い出しました。 全く当たり前の話であります。 でも、「蛇踏み」は、僕の記憶上の読書に比べて、今回の方がとてもおもしろかった、つまり再読の方が面白かったように思います。 でもこれっていったい何なんでしょうかね。 公園で蛇を踏んづけたらそれが人間の姿になって、そのまま主人公の下宿にお前の母だと名乗って居着いてしまう。最後はその蛇とつかみ合いになるんだけれど、けんかをしている最中から部屋が水浸しになり、さらに水は濁流となり、ものすごい勢いで二人は部屋ごと流されてしまう。……。 これって、やっぱり、カフカ? ですかね。 しかし考えれば現代文学って、変なところに来ているなと思いますね。読んでいて、「蛇踏み」に、違和感がほとんどないんですものね。もっともっと変な話だと思ってもいいでしょうにね。 その理由の一つは、全体の、何というかとても「クール」(やや曖昧な言葉遣いですが、ある種の「説話性・戯作性」でしょうか)な書きぶりのせいだと思います。この「語り」に「騙されて」、我々は、蛇が母親になる話に「違和感」を失ってしまうんでしょうね。 で私は、引き続いて時をおかずに『溺レる』を読みました。 すると、カフカからつげ義春に変わっていました。 「懐かしさ」と「惨めさ」が「クール」を包んでいます。でも根本はあくまで「クール」でしょうね。ひょっとしたらこんなのを、実存的って言うのかもしれません。 なかなか表現しにくい小説群ですが、もちろんおもしろいから読み続けています。というより、この「おもしろさ」は、少し太宰治に似たところがありますね。 読者の感情のヒダに直接触れてくるような、少し、麻薬じみた、心地よさがあります。 うーん、ちょっと、気になりますね。 実際、川上弘美氏には、ディープなファンがいますものねー。 そしてさらに、次回も私の川上弘美読書は続きます。 (ね。川上弘美の作品にはこういった「依存性」があるんですね。上品そうなお写真の筆者ではありますが、なかなか一筋縄でいくようなお方ではなさそうです。) よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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