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2009.10.08
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カテゴリ:明治期・浪漫主義

  『多情多恨』尾崎紅葉(岩波文庫)

 こんなブログを作っているから、という言い方は正しいのかどうか、私自身よく分かりませんが、とにかく、上記の本を読んだきっかけは、間違いなく本ブログと関係があると思います。
 
 かつて、同作家の『金色夜叉』を読みました。
 ただ、それは遙かな過去のことで、本ブログとは全然関係のないところで起こった興味の結果の読書です。

 熱海の海岸で寛一がお宮を蹴り飛ばす有名な場面(しかし考えてみれば、本当に大の男が若い女性を蹴り飛ばすんですから、「時代」ですよねー。挿絵も見ましたが、「お宮さん」は見事に空中に吹っ飛んでいましたよ。うーん、今なら、「ドメスティック・バイオレンス」?)をはじめ、結構面白かった記憶があるんですが、確かあの小説も、続編続編と書かれたあげく(なにしろすごい人気だったそうですから)、結局「未完」だったと思います。

 そもそも、かつての時代(この「かつての時代」とは、一体いつ頃なんでしょうかね。「資本主義社会勃興期」あたり?)、「未完」の小説が結構あったように思うんですが、そんなことないでしょうかね。

 以前にも考えてみましたが、そもそも「文壇」というものが、文人たちのサークル活動の延長程度のもので、純文学商業誌(こんなの、あったんでしょうかね? 『中央公論』あたり?)といえども、やはり同人誌の延長程度のものでしかなかったからでしょうね。
 だからわりと簡単に「未完」になった、というのは穿ちすぎでしょうか。

 ともあれ、話題を引き寄せ直しますと、かつて私は『金色夜叉』を読み、それなりに面白いとは思いましたが、それ以上に同作家の業績を追いかけようとは、特に思いませんでした。
 ところが、その後私は、ひょんなことからひょんなブログを立ち上げて、同作家の冒頭の小説を読むことになり、そして、実は、大いに感心をし、かつ少々戸惑ってる、というわけです。

 この「戸惑い」ですが、確か同種の戸惑いをかつて感じた小説がありました。
 二葉亭四迷の『其面影』ですね。

 この作品については、拙ブログでその偉大さをすでに述べましたが、今回、同種の感じ方をしたことについて、うーん、ひょっとしたら私は、二葉亭を読んだことで、どのような時代においてもすごい人はいるものだ、と言うことを学んだつもりでありながら、実はまだ、明治初期の文学者を「侮っていた」んじゃなかったか、と。

 実際、この作品は、なかなか「凄い」ですよ。

 そのすごさを、二点においてまとめてみます。

 (1)「言文一致体」の、ほぼ完璧なること。
 (2)「心理描写」へのこだわりの、時代を遙かに先駆けていること。


 この二点で、本作はもう十分に「古典」であり、しかし、「古典」であるが故に、ひょっとしたら現在、きわめて残念なことに、十分な読者を獲得できずにいるのではないか、と思います。
 この小説は、現代においても、もっと読まれてもよい小説と思います。
 その価値において、また、その「理解しやすさ」においても。

 では、さらに上記二点について考えてみますね。

 まず、(1)の、ほぼ完璧なる「言文一致体」についてです。
 そもそも何をもって「完璧」と考えるかは、人によって異論もありましょう。
 以前も触れましたが、例えば武者小路実篤の小説表現をもって「言文一致体」は完成した、という説もありましょうし、もっと現代に近づいて、「ケータイ小説」の出現こそが、本当の「言文一致体」の完成であるとも考えられそうです。

 というところで「佳境(!)」に入りかけたところで、えっとー、次回に続きますー。


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Last updated  2009.10.08 05:58:34
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