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2013.04.07
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カテゴリ:明治期・浪漫主義

  『青春・上中下』小栗風葉(岩波文庫)

 上記小説の読書報告の後編であります。
 前編は本小説3冊セットをわたくしが入手するに至った顛末を書きましたが、全編閑話になってしまい、誠に申し訳ございませんでした。
 ただ、さりげなく本小説のあらすじは差し挟んでおいたのですが、齋藤美奈子がこんな風にまとめておりました。

 ちょっと頭のおかしい帝大生=関欽哉と、少々つっぱった女子学生=小野繁との恋愛を軸に進行する物語の山は、もちろん中盤、繁の妊娠と堕胎にある。

 この妊娠と堕胎が書かれてあるのが、中巻の正に最終シーンでありまして、同じく齋藤美奈子が本小説のことを「華麗な冒険『堕胎』活劇」と書いているのですが、活劇らしい場面はここくらいであります。

 恋人繁の妊娠を知り困り果てた欽哉は、うさんくさい幼なじみから堕胎薬を手に入れ、繁の部屋において帰ります。
 これを悩みあぐねた繁が発作的に飲んでしまい、一気に瀕死の状態になって、医者が来る、欽哉も来る、とうとう警察までがやってきて、そのまま欽哉が逮捕されてしまいます。

 欽哉がなぜ逮捕されたかと申しますと、これも齋藤美奈子の『妊娠小説』からの一文で紹介させていただきます。

 (略)これは社会のシステムが今とちがっていたためで、妊娠小説の華であり目玉でありお楽しみでもある「妊娠中絶」が、そもそもこの社会では認可されていなかった。(略)
 一八六八年。といえば明治維新の年だけれども、妊娠文化史的にいうと、これは「堕胎薬の販売が禁止された年」と記憶されなければならない。(略)
 堕胎管理は二段階のステップを踏んで完成した。まず一八八〇(明治十三)年、旧刑法ができて「堕胎罪」が発足する(施行は八二年)。さらに一九〇七(明治四十)年には、刑法の改訂にともなって堕胎罪の罰則規定が強化された。


 この「旧刑法」の元、主人公の関欽哉は、文中の小野繁の言葉「未決から勘定すると、丁度まる三年ですもの」とある刑務所生活を送るのであります。
 そして、欽哉がようやく放免される場面から下巻は始まります。

 ところで、この『青春』は上中下の三巻本になっているのですが、私の持っている岩波文庫で言いますと、どの巻も200ページ弱できれいに揃っており、各巻に「春之巻」「夏之巻」「秋之巻」と章題が付けられてあります。

 ページ数まできれいに揃っておきながら、巻数が「春夏秋」で終わっているのは少し気になりますよね。
 前回の報告に、私が、この『青春』とセットにして小杉天外の『魔風恋風』をイメージしていたことを書きましたが、全体の構造でいいますと、『青春』の方が遙かに上です。
 『魔風恋風』が終盤求心力を失ってとりとめなく終わってしまったのに比べますと、こちらは取りあえず最後までかっちりと書ききっています。

 ただ、にも関わらず、下巻以降作品の興味は急速に薄れていきます。その原因は、ひとえに主人公の魅力が薄れてきたからであります。

 刑務所に入れられたという精神的な衝撃が、主人公の生命力を極端に奪い取ってしまいます。この後関欽哉は、彼を取り巻くすべてのことに敗残者としてしか関われなくなっていきます。
 その過程の描写・展開が、何とも味わいがなく面白味がないのであります。

 しかし考えれば、近代日本文学は、その勃興期からこの種の主人公を作り続けてきたのではなかったでしょうか。
 二葉亭四迷の『浮雲』の内海文三はまさにその祖先であり、漱石の『それから』や晩年の芥川の緒作品、有島武郎の『或る女』、太宰治のほぼ全作品等々、もう少しじっくり文学史をおさらいすればもっともっと出てくる「社会のアウトサイダーの系譜」こそが、日本文学の本道ではなかったでありましょうか。

 本来ならそんな主流に属するはずの主人公が、なぜ魅力的でなくなってしまったのか。
 それについては、中村光夫の『風俗小説論』に優れた指摘があります。

 『青春』の作者は欽哉とはまったくの他人であり、しかも互いのあいだに同感の血は一滴も通っていないのです。

 作品は、作られた瞬間から作者の元を離れていくとはいいますが、やはり作者の遺伝子は作品の細胞のすべてに含まれている、いや含まれていなければ人を撃つ作品にならないと言うことが、ここから分かります。
 それは、例えば『それから』の代助の苦悩が漱石の苦悩でもあったようには、『青春』の関欽哉の苦悩は、小栗風葉の苦悩ではなかったと言うことであります。

 「ボヴァリー夫人は私である」というフローベルの一言は、小説の永遠の真理であるのかもしれません。なるほど、小説とはなかなか怖いものでありますね。


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Last updated  2013.04.07 17:29:50
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