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2009.11.12
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  『ひかりごけ』武田泰淳(新潮文庫)

 小説家でいて僧侶であるという方は、結構いそうに思うんですが、はて、どんな方がいらっしゃいましたでしょうか。

 かつて、今東光という方がいらっしゃいましたね。あ、寂聴さんがそうですか、瀬戸内寂聴さん。
 あと、少し前に芥川賞を取られた方も、いらっしゃったように思います。

 しかし、小説家で僧侶という方は、たとえば、遠藤周作のようなキリスト教作家に比べると、何か「存在感」が薄いと感じてしまうのは、私の偏見でしょうか。

 もっとも、キリスト教作家は、小説家でいて牧師であるというのではありませんから、比較の仕方が悪いのかも知れませんね。

 さて、今回の作家・武田泰淳氏は僧侶でいらっしゃいます。(すでにお亡くなりの方ですが。)
 第一次・二次戦後派というところにおそらく分類される方で、小説家としては、かなり高い評価をお受けの方と側聞しますが、僧侶としては如何だったんでしょうか。寡聞にして存じ上げません。

 しかし本書において、まさしく僧侶=宗教家としても非常に質の高い、「文学的=宗教的・哲学的結実」を見せていらっしゃると感じました。
 (もとより私の宗教的な知識は、ほぼ皆無であります。素人判断しかできていないものではありますが、しかし「宗教的結実」は十分あると思います。)

 本書は四つの作品による短篇集ですが、その作品には幾つかの共通項があります。
 まず、閉鎖された空間内での人間関係を描いていると言うこと。
 『異形の者』という作品に於いては、人間関係だけではなく、人間と「絶対者」の関係にまで及ぼうとしていますが、そんな関係が、ことごとく、実に粘り気のある、イメージの分厚い、そして内臓のような存在感と暴力性を持った描写でなされているのも、共通項の一つであります。

 各作品に十分読み所はあるのですが、やはり圧巻は、総題にもなっている『ひかりごけ』でしょうか。
 60ページほどの短篇でありながら、人間存在の苦悩について、小説的物語性と象徴性の共に高い、極めて優れた作品となっています。

 それは、一言で言うと「人肉食」の話です。

 第二次世界大戦末期、北海道の端・羅臼で難破した軍用船が、人跡の絶えた漂流地に辿り着き、二ヶ月間、極寒期の食料皆無の中で実際に起こった惨劇を、モデルとしたものであります。
 
 筆者は、この状況を実に巧妙に描いています。
 紀行文のようにその地の風土から描き始め、そして村の校長と共に見に行った、洞窟内に生える珍しい「ひかりごけ」の話、さらに彼から聞いた話として、「人肉食」の話題に入っていきます。

 この時点で、「私」は「人肉食」について「殺人」と絡めながら様々な考察をします。
 例えばこんな具合です。

 殺人の利器は堂々とその大量生産の実情を、ニュース映画にまで公開して文明の威力を誇ります。人肉料理の道具の方は、デパートの食器部にも、博物館の特別室にももはや見かけられない。二種の犯罪用具の片方だけは、うまうまと大衆化して日進月歩していますが、片方は想い出すさえゾッとする秘器として忘れ去られようとしている。この二つの犯罪行為に対する人気投票が、前者は依然として上昇ぎみであるのに、後者がガタ落ちしているのは、要するに、前者の選挙ポスター、宣伝カー、政治綱領がすみずみまで行きわたっているのに、後者の候補者の方は、選挙以前から検束されてしまっているがためにすぎないのです。

 どうですか。このグロテスクなユーモアを伴った、殺人と人肉食の比較検討は。
 そして、このグロテスクなユーモアは、後半の戯曲形式に於いて、俄然効果を発揮していきます。

 いよいよ最後、戯曲第二幕の、人肉食をした「船長」の裁判の場面において、「私は我慢しているが不幸ではない」と言い張る「船長」が、人肉を食べたものの首の後ろは「ひかりごけ」のようにうっすらと光るが、それは人肉を食べていないものにしか見えない、と発言した後の場面は圧巻です。

 舞台の照明を落とした中、首の後ろが光っている者は、いつの間にか登場人物全員であり、互いにそんなひかりごけなどは見えないと話し合っている。
 「そんなはずはない。私をもっと真剣に、もっとよく見てください」と叫ぶ「船長」の姿、そして彼を取り囲む者達の姿が、闇の中、しだいにゴルゴダの丘のキリストと見物人達に重なっていく……。

 見事なものですね。
 ここを読んだだけでも、筆者が、終盤を戯曲形式にした狙いがはっきりと読み取れます。
 武田泰淳が骨太な作家として高い評価を受けているわけが、この一作からでも分かるようですね。


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Last updated  2009.11.12 06:28:10
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