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2010.01.07
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カテゴリ:昭和期・新感覚派

  『上海』横光利一(岩波文庫)

 この筆者の文学史上の位置づけというのは、一体どんなものなんでしょうねー。

 変な言い方ですが、この筆者にとっての『上海』という小説の位置が、近代日本文学史上の横光利一の位置に、かなり相似形に重なっているような、……いえ、別に確固とした文学理念も考察もないままに、ホンの思いつきで書いているに過ぎないんですが。

 たとえばこの作品の文章は、やはりとても過激な文章だと思いますよ。こんなの。

 そのとき、ふと彼は通りすがりの、女が女に見えぬ茶館へ上っていった。
 広い堂内は交換局のように騒いでいた。その蒸しつく空気の中で、笑婦の群れが、赤く割られた石榴のように詰っていた。彼はテーブルの間を黙々として歩いてみた。押し襲せて来た女が、彼の肩からぶら下がった。彼は群らがる女の胴と耳輪を、ぶら下った女の肩で押し割りながら進んでいった。彼の首の上で、腕時計が絡み合った。擦り合う胴と胴との間で、南瓜の皿が動いていた。


 こんな文章とか、またこれは、群衆の蠢く工場内でいきなりピストルが発砲されるシーン。

 そのとき、河に向かった南の廊下が、真っ赤になった。高重は振り返った。その途端、窓硝子が連続して穴を開けた。

 特に二つ目の文章は、日本文学史の教科書によく引用されている『頭ならびに腹』のこの有名な文とそっくりですよね。

 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駆けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。

 でもこういった文体は、一体どこに行く事を目指しているんでしょうね。
 どこかに広い出口があるんでしょうか。

 いえ、もちろんそれは分かりませんよね。
 例えば、大江健三郎のデビュー当時、その翻訳のような文体に対して、谷崎潤一郎はかなり強い拒否感を表しましたが、大江の文章はその後、現代日本語のスタンダートに近い位置を占めていますものね。

 横光のこの過激な文章についても、先に思わぬ広いフィールドが待っていたかも知れません。

 ただ、早く亡くなった事と、本来の円熟期が第二次世界大戦の真ん中に重なった事のせいで、その不運さは誰もが認めるところではありますが、かつては「小説の神様」とまで言われた彼は、充分な文学的成熟を迎えることなく終わってしまいました。
 (この「小説の神様」という表現は、多分に揶揄が混じっているとも聞きますが。)

 僚友川端康成が、戦後日本人として初めてのノーベル文学賞を受賞した事と、皮肉な好対照を成しています。

 さて、この『上海』の印象ですが、まず上記に触れた、新感覚派的表現の集大成のような、「過激」な、そして絢爛豪華なイメージの迸りが随所に見られます。
 それは面白いといえばとても面白いと思います。しかしこれは、読み進めていくうちに、どうもうまく反応できなくなっていくような気がします。

 たぶんそれは、一つには「慣れ」と、もう一つは、言葉の軽重感覚が混乱されるようになってくるせいではないかと思います。(だからかどうかはわからないんですが、僕はかなりこの文体は読みにくいと感じました。)

 しかし、それ以上に強く感じた事は、第二次世界大戦勃発寸前の、あらゆる人間的価値と猥雑を坩堝に流し込んだような「無国籍都市・上海」を、才気溢れるスピードとイメージで描いたこの作品が、結局行き着く先を持てないでいるということでした。

 これって、一言で言えば「不毛」ということなんでしょうか。
 そこまで言うつもりは、まるでありません。

 ただそんな、指に刺さった小さな棘のような痛痒感覚と共に、ひょっとしたら、近代日本文学史上に横光利一の位置があると、……いえ、やはりこれは、ほとんど僕の根拠なき妄想のような考えなのかなとも思いますが。


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Last updated  2010.01.07 06:34:16
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