【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半男性 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年男性 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期作家
2012.02.15
XML
カテゴリ:昭和期・新感覚派

  『伊豆の踊子・温泉宿』川端康成(岩波文庫)

 本文庫には、解説が無くてその代わりに筆者の後書きがあります。そこに「私の二十代の作品から、ここに六編を選び出した。」とあります。大正末期から昭和初期にかけての作品です。こんなラインナップです。

  『十六歳の日記』『招魂祭一景』『伊豆の踊子』
  『青い海 黒い海』『春景色』『温泉宿』


 『温泉宿』が典型だと思いますが、その描写力は、もう、圧倒的なうまさであります。
 何の描写がうまいかと言えば、これですね。

   「たくましくも幸薄い日本髪の女性(の裸)」

 最後についているカッコは何だといわれそうですが、まー、そのままですね。これが抜群に上手であります。例えばこんな感じです。『温泉宿』の冒頭、入浴シーンです。(入浴シーンがこれまた、とてもたくさん出てくるんですねー。)

 彼女らは獣のように、白い裸で這い廻っていた。
 脂肪の円みで鈍い裸たち――ほの暗い湯気の底に膝頭で這う胴は、ぬるぬる粘っこい獣の姿だった。肩の肉だけが、野良仕事のように逞しく動いている。そして、黒髪の色の人間らしさが――全く高貴な悲しみの滴りのように、なんという鮮やかな人間らしさだ。
 お滝は束子を投げ出すと、木馬を飛ぶように高い窓をさっと躍り越え、いきなり溝に跨ってしゃがみ、流れに音を落としながら、
 「秋だね。」
 「ほんとうに秋風だわ。秋口の避暑地の寂しさったら舟の出てしまった港のように――。」と、湯殿からお雪が艶めかしく、これも恋人づれの都会の女の口真似だった。


 私は本作を読みながらふっと思ったのですが、川端康成と谷崎潤一郎とはどんな関係だったのかな、と。
 「どんな関係」というのは、要するに両者とも、小説的世界としては極めて歪に生涯「女性」ばかりを描きながら、描かれた女性はまるで異なっているという意味においてですね。
 
 谷崎の描く女性は、何といっても誇らしげで自信たっぷりです。極めて陽的。
 それに対して川端の描く女性は、あたかも陰花の様です。上記にもありますが、どこか幸薄い。

 例えば、谷崎の女性は(特に若い頃の作品は)、別に日本女性でなくっても良さそうです。作品の中にも白人のようであるという説明の女性が出ていたと思います。
 一方、川端作品は、今回の二十代作品集を見ても、「日本髪の女性」であります。谷崎が、長い執筆生活のちょうど真ん中あたりで、女性の嗜好が大きく変わったのに対して、川端は若い頃から一貫しています。

 そのせいだけではないでしょうが、川端がノーベル文学賞を受賞し、その理由の一つに繊細な日本の美を描いたこととあったのは、なるほどと思わせるところがあります。
 (ついでながら、谷崎作品には、どの作品もどこか人工的な御伽話のようなところがありますね。描かれる女性が「陽的」であるのとも関係しているんでしょうかね。)
 ともあれ、この違いは両者の女性観の違いでしょうか。それとも女性観とはまた別のものなんでしょうか。少し興味深いところであります。

 そしてもう一点、本短編集を読んでいて唸ってしまったのは、実に全編にわたって「比喩の嵐」であります。
 以前『雪国』を読んだ時に、ふわりふわりと降る雪のことを「まるで嘘のように」と喩えてあったのに感心したのですが、象徴のような隠喩から新しい美意識の創造のような直喩まで、見方によっては少々あざとさを感じかねないくらいにでてきます。(『青い海 黒い海』という小説は、明らかに意図的に比喩による混乱をねらった作品です。)

 しかし改めて思うのですが、これが筆者二十代に書かれた作品なんですね。
 二十代という時期は、その分野の第一人者、つまり「天才」にとっては、既に「早熟」と呼ばれる時期ではないのかも知れませんが(「早熟」というのはやはり十代中盤から後半という感じでしょうかね。例えば、アルチュール・ランボーのように)、もう知るべき事は知り尽くしてしまった、やるべき事はやり尽くしてしまったという、ほとんど総てのことは手に入れたといった感じの時期なんでしょうか。

 しょせん天才とはまるで縁のない私の感覚からは想像もつきませんが(以前、中島敦が、私は若い頃「忘れる」という感覚が分からなかったみたいなことを述べているというのを読んだ時、つくづく人間とは不公平に作られているものだと嘆息しました)、二十代でここまでやれてしまうと、残りの人生は、必ずしも本人にとって「素晴らしいもの」であるのかどうか、少し分からないような気がしますね。

 確か、サマセット・モームがそんなことを書いていたように憶えていますが、天才とはそれを持って生まれた本人にとっても大いに「負担」なのである、と。
 なるほど、完璧に人ごとながら、そんなものなんでしょうかね。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.02.15 10:01:14
コメント(0) | コメントを書く
[昭和期・新感覚派] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

徘徊日記 2024年10… シマクマ君さん

やっぱり読書 おい… ばあチャルさん

Comments

analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

© Rakuten Group, Inc.