|
全て
| カテゴリ未分類
| 明治期・反自然漱石
| 大正期・白樺派
| 明治期・写実主義
| 昭和期・歴史小説
| 平成期・平成期作家
| 昭和期・後半男性
| 昭和期・一次戦後派
| 昭和期・三十年男性
| 昭和期・プロ文学
| 大正期・私小説
| 明治期・耽美主義
| 明治期・明治末期
| 昭和期・内向の世代
| 昭和期・昭和十年代
| 明治期・浪漫主義
| 昭和期・第三の新人
| 大正期・大正期全般
| 昭和期・新感覚派
| 昭和~・評論家
| 昭和期・新戯作派
| 昭和期・二次戦後派
| 昭和期・三十年女性
| 昭和期・後半女性
| 昭和期・中間小説
| 昭和期・新興芸術派
| 昭和期・新心理主義
| 明治期・自然主義
| 昭和期・転向文学
| 昭和期・他の芸術派
| 明治~・詩歌俳人
| 明治期・反自然鴎外
| 明治~・劇作家
| 大正期・新現実主義
| 明治期・開化過渡期
| 令和期・令和期作家
カテゴリ:明治期・浪漫主義
『にごりえ・たけくらべ』樋口一葉(新潮文庫) わたくし話ですみませんが(と言っても、このブログ総てがわたくし話ではあるんですが)、かつて、僕はこんな俳句を作りました。 なつならば許しなされよ漱石忌 僕としては、わりと気に入った俳句なんですがねー、誰も褒めてくださいませんでした。 簡単に「自句自解」しておきますと、確か2004年の秋だったと思うんですが、お札の肖像画が変わりましたね。 それまでは、 1000円→夏目漱石・5000円→新渡戸稲造・10000円→福沢諭吉 と。これが、このように変わりました。 1000円→野口英世・5000円→樋口一葉・10000円→変更無し で、現在に至る、と。 僕は漱石の大ファンなんで、大いに「腹が立った」ですね。 (しかし、確か、漱石がお札になると決まったときにも、僕は、何で漱石がお札の顔やねん、と腹を立てたような気がするようなしないような……。) とにかく、漱石肖像画が「お払い箱」になるときに、まー実際の話としては、ちょっと寂しかったんですね。で、そんな気持ちを持ちつつふと隣を見ると(「隣」って何かな)、 一葉が新たにルーキーとして抜擢されているではありませんか。 そこで考えました。 まー、この交代ならしかたがないか、と。許してあげようか、と。 (更に我が希望を申し述べるなら、漱石の後釜が一葉ならもっと良かったんですが。) というのが「自句自解」なんですが、よろしいでしょうか。 ついでに、言わずもがなのことですが、一葉の本名は、「なつ」「奈津」「夏子」、このあたりの表記を、本人はしていたようですね。 ところで、お札の肖像画になぜ樋口一葉が選ばれたんでしょうか。 僕はここに、ヒジョーに「政治的」なニオイを、密かに感じますんですけどね。 お札の肖像画を考えるとき、政府はね、きっと、時代的なこともあるし、とりあえず女性を一名入れようと考えたんだと思います。 今まで女性の肖像画は、確か昔に、「昭憲皇太后」があったと聞きますが、もちろん私は知りません。2000円札は紫式部だったですが、どういうルールなのか知らないんですが、あれは肖像画の扱いではないそうですね。 どうせ誰かを選ばねばならないなら、女性からの人気取りにもなるし、特に女性肖像画だからと言って、費用が割り増しになるわけでもなかろう、と。 ところが、いざ具体的な人選の段階で、はたと困るわけです。 相応しい女性が、いない、と。 いえ、僕が女性差別的発言をしているわけではありません。 個人の資質としては、充分に相応しい女性は、星の数ほどにもいらっしゃったでしょうが、かつての日本の国家機構が、構造的に「致命的に」女性差別的であったため、少なくとも万人が納得できるような著名な女性が、見つからなかったと言うことでしょう。 これはとりあえず文化畑からかな、という方針も、早い時期に出ただろうと思います。でも文化畑と言っても、実際は「文学系」しかないでしょう。 文学系を外すとすれば、次はもう、「美空ひばり」しかいないと思いますよ。 でも美空ひばりはいくら何でも、長い日本歴史の中では、リアル・タイムすぎるでしょう。 (あと50年くらい経ったらその可能性は大いにあると、僕は考えるんですが。) で、更に具体的な人選。 文学系で、紫式部というカードはもう切ってしまったとすれば次は……。 僕は、第一候補として挙がったのは、本当は「晶子」じゃなかったかと思います。 与謝野晶子 だって樋口一葉より遙かに「メジャー」じゃないですか。 しかしねー、晶子はねー、『君死に給ふことなかれ』なんて「けしからん反戦詩」を書いてますしねー。ちょっと前の選挙の時に、野党の女性党首が晶子を同志のごとくに祭り上げていたしなー。 そういえば、「毀誉褒貶」喧しい平塚雷鳥の「青鞜社」の運動にも一枚かんでいたようだしなー。わし、嫌いなのよねー、あのふぇみにずなんちゃらかんちゃら、っちゅうの。 もっとこのー、「政治色」のない女流はいないのかね、君ー。 あるいは、自○党よりの女流は、ああーん? なんて話しになったときに、極貧の中、わずか二十五歳で夭折、「政治的発言」などする術も時間もなかった我らが一葉が、「人身御供」のように選ばれたのではなかったか、と。 ……と、まぁここまでが僕の妄想なんですがね。 えーっと、冒頭の作品に見事に一字たりとも触れていませんなー。ははは。 では、次回に。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.26 06:24:45
コメント(0) | コメントを書く
[明治期・浪漫主義] カテゴリの最新記事
|
|