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カテゴリ:明治期・浪漫主義
『にごりえ・たけくらべ』樋口一葉(新潮文庫) 上記作品読書報告の後半です。 有名な、『たけくらべ』ですが、この度、再読いたしまして、私が読み違えていた、というか、記憶違いをしていたことに気がつきました。 変な記憶違いですが、私は、雨の日に美登利は、信如の切れた下駄の鼻緒をすげ替えてやったと勘違いしていたんですね。 実際の記述は、違っていました。こうなっているんですね。 まず、雨の中を姉から頼まれた用事で、信如が美登利のいる大黒屋の前を通り過ぎようとした時、下駄の鼻緒が切れるんですね。それを美登利が見つけます。こんな感じ。 あれ誰か鼻緒を切つた人がある、母さん切れを遣っても宜う御座んすかと尋ねて、針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍かしきやうに、馳せ出でて縁先の洋傘さすより早く、庭石の上を伝ふて急ぎ足に来たりぬ。 ところが、それが信如だと分かると美登利は門の格子戸の側で立ち止まってじっと様子を見ます。一方信如も、ふと美登利の視線を感じて振り返るんだけれども、二人は喧嘩をしているもので、信如も又顔を背けます。 友仙ちりめんの切れ端を持って、鼻緒のすげ替えがうまくいかない信如を見ながら、じれったがる美登利ですが、家の中から母親に何度も呼ばれ、困ってしまいます。ここはこんな感じ。 はい今行きますと大きく言ひて、その声信如に聞えしを恥かしく、胸はわくわくと上気して、どうでも明けられぬ門の際にさりとも見過しがたき難儀をさまざまの思案尽して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、見ぬやうに見て知らず顔を信如のつくるに、ゑゑ例の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涙の恨み顔、何を憎んでそのやうに無情そぶりは見せらるる、言ひたい事は此方にあるを、余りな人とこみ上るほどに思ひに迫れど、母親の呼声しばしばなるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足ゑゑ何ぞいの未練くさい、思はく恥かしと身をかへして、かたかたと飛石を伝ひゆくに、信如は今ぞ淋しう見かえれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そぞろに床しき思ひは有れども、手に取りあぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。 今、こうして一葉の文章を打ってみると、やはり名文ですねー。凄いものです。 ともあれ、この後は、信如の友人・長吉が現れて助けてくれて、信如はこの場を去ります。この場面の最後の描写。 信如は田町の姉のもとへ、長吉は我家の方へと行別れるに思ひの止まる紅入友仙は可憐しき姿を空しく格子門の外にと止めぬ。 私の読んだ新潮文庫版には、三つの小説が収録されています。 『にごりえ』(明治28年9月「文芸倶楽部」) 『十三夜』(明治28年12月「文芸倶楽部」) 『たけくらべ』(明治28年1月~明治29年1月「文学界」・ 明治29年4月「文芸倶楽部」補正再録) この順に読んだのですが、全二作は、文体は擬古文めいてはいますが、極めて写実的です。とても読みやすい。 そして、『たけくらべ』に入りますと、少し時間が遡ったように、前二作に比べると、江戸の浮世草子のような情緒的、艶やかではあるが、少し読みにくい感じがします。でも、上記の原文からも伺えるように、やはり描写は非常にきっちりしている事が分かります。 いわば、リアリズムをしっかり押さえた上で、情緒的な、文章の美しさ・膨らみを含んでいる文章になっていると思いました。 なぜ、そうなったのかは、上記の雑誌初出時期を確認すると、分かるような気がします。 まず最初に『たけくらべ』の一稿が書かれ始め、並行しながら写実的な二作が書かれました。その後、一度完成した『たけくらべ』の補正をしたという順番ですね。 いわば、一稿目の『たけくらべ』の江戸情緒を、他の二作を書く事で学んだ写実で煮しめて完成稿ができた、と。そういう感じですね。 明治29年春の『たけくらべ』の再録で、一葉の文名は一気に絶頂に達します。 なんせ、文壇の重鎮、森鴎外が褒め、幸田露伴も褒める。他の並み居る評論家も、右へ倣えの激賞でありました。 しかしその時すでに、一葉の命は残り十ヶ月を切っていました。 明治29年11月23日、数え年二十五歳で一葉はひっそりと亡くなります。病因は、一葉の父と兄も倒した肺結核でした。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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