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2010.02.04
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カテゴリ:明治期・自然主義

  『初すがた』小杉天外(岩波文庫)

 小杉天外です、わ。
 もー、この辺まで来ると、かなり「マニアック」と言い切っていいと思いますねー。

 樋口一葉の時は、それでもまだいけたと思うんですね。「マニア」じゃなくて、「マイナー」。「マニア」と「マイナー」との間には、「深くて暗い河がある」と。

 かつて、今はあまり読まれなくなった近代日本文学史上の作品について、

  (1)現在でも一般的読書に耐えうる作品。
  (2)現在ではもはや歴史的意味としての存在となっている作品。

 この二種類に分けられると私は考えました。小杉天外はもちろん後者でしょうが、ここまでズバリと後者だと、なんかこんな識別にあまり意味がないように思えてしまいます。
 むしろ、こんな言い方のほうがいいかも知れません。

  (2)研究者と愛好者の読書に耐えうる作品。

 ただ、小杉天外は岩波文庫に(「売れ筋外し」の岩波文庫に)、実は三冊も入っているんですねー。上記作品と、『魔風恋風』上下二巻です。
 しかし、小杉天外といえば、『はやり唄』って作品が、比較的有名だと思います。日本文学に「ゾライズム」を持ち込んだ作品、と、ちょっと詳しい文学史の本には書いてあったりします。

 とすると、何ですかね、岩波文庫は、実はもう一冊、小杉天外の本を出そうと考えているんですかね。
 うーん。今後の動向を、注意深く見守っていきたいと思います。

 さて、そんな小杉天外の小説です。もちろん私も、初めて読みました。
 上記にちらりと触れていますが、「ゾライズム」。なるほど、これはゾラの『女優ナナ』ですね。
 ただ面白いのが、フランスでは「女優」なのが、日本では「清元」の女芸人なんですね。うーん、何となく感慨深いものがありますねー。

 あわせて、こんな文体です。

 際しも強い風がまた吹通うた、砂塵は黒煙の様に街に漲つた。束髪ははたと歩を止めて、
 「あらッ!」と仰山な声を出して若衆の手に縋つたか、ぱッと巻ぢり揚つた着物の下から、燃る様な緋縮緬の腰巻の露はれたのを隠さうとも為ずに、はたはたと木戸口に駆込んだ。
 屋内は既う夜の様である。入口には、茨木県水害慈善演芸会と記した長い立看板を立ててある。風の吹込む毎に「ぼぼぼ、ぶぷぷぷぷぷ」と音を立てる上がり口の瓦斯の焔の下には、胸に紅い徽章を着けた羽織袴の、頭髪を奇麗に分けた男が、卓子を前に控へて、入場切符の受取役をして居る。


 案外読みやすいですよね。だって、明治三十三年(1900年!)の作品ですから。
 後世から見て、この年の文学史的な大きな出来事としては、鉄幹・晶子の『明星』の創刊があります。
 「柔肌の熱き血汐に触れもみで」です。十分口語文体です。

 話を戻しまして、『初すがた』です。
 ゾラといえば「社会的転落」というイメージなんですが(私の読んだ数少ないゾラ作品がそうだったんですが)、なるほど、中盤以降の展開、主人公の清元の女芸人「お俊」が、笠田というゴロツキに酒を飲まされてレイプされて以降、「清純」だった彼女の行動・言葉の端々に「崩れた」感じが漂い出します。

 きっとこの辺が、筆者にとって、ゾライズムによる作品解釈として大いに読者に示したかったところなのかも知れませんが、いかんせん、少し腰がふらついている感じで、視点もしっかりと定まらず、なんか中途半端にしか追求できていません。

 そこに、「お俊」の幼なじみの「龍太郎」の得度なんかが重なって(これは『たけくらべ』のパクリですかね)、ストーリーが見る見るうちに「段取り」化してしまい、登場人物の心理も十分描ききれず、いきなりぷっつりと終わってしまいました。(ただ、作者は続編を書いてはいますが。)

 中途半端といえば中途半端なんですが、ただ、日本文学史の流れの中でこの作品を捉え直すならこのようになります。
 明治二十年代から三十年代前半にかけて文壇を「席巻」した硯友社文学にようやく陰りが見られ、ただ、まだ次の文学理論・実践がなされていない時に、このような作品によって何度も試行錯誤が重ねられて初めて、次代の新しい主流が生まれるという、そんな歴史的役割を担った作品、と。

 明治三十九年、島崎藤村による満を持しての『破戒』が出版されます。
 そしてその後、小杉天外は文壇の主流からは徐々に押しやられていきます。


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Last updated  2010.02.04 06:31:58
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