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2010.02.09
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  『ヰタ・セクスアリス』森鴎外(新潮文庫)

 世間の人は性欲の虎を放し飼にして、どうかすると、その背に騎って、滅亡の谷に墜ちる。自分は性欲の虎を馴らして抑えている。羅漢に跋陀羅というのがある。馴れた虎を傍に寝かして置いている。童子がその虎を怖れている。Bhadraとは賢者の義である。あの虎は性欲の象徴かも知れない。只馴らしてあるだけで、虎の恐るべき威は衰えてはいないのである。

 以前、『雁』の報告をした時にも、はじめ気になって仕方がなかったんですが、なぜ鴎外はこんな作品を書いたのだろうということです。

 漱石を読む時なんかはこんなこと思いませんね。「贔屓目」なのか知れませんが、漱石の時は「内的必然性」なんて言葉で、あっさりこの部分はクリアしてしまうような気がします。

 鴎外でも、短編の時はそんなことはあまり思いません。
 鴎外の短編は、いわゆる「テーマ小説」が多く、要するに、なるほどこの時は鴎外はこんな事を考えていたんだなーで、わりと簡単にクリアします。

 なぜ『雁』とか本作の時にだけそんなこと考えるかというと、ひとつは、その長さのせいですね。「中編」くらいの長さがありますから、そのぶんあれこれ書き込んであって、それで、なぜこんなに頑張って書いているのかなー、と、そう考えるということですね。

 そしてもう一つの理由は、鴎外自身が本作でもシニカルに書いていますが、こんな風に批評され続けたという表現。

 情熱という語はまだ無かったが、有ったら情熱がないとも云ったのだろう。衒学なんという語もまだ流行らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。

 鴎外にシニカルに笑われても、やはり僕も、読んでいてそんな気が大いにするんですがねー。
 もちろん鴎外も、そんなことは分かっていて、わざとそんな風に書いているんですよね。
 かなり屈折的ですよねー。
 今ふっと思ったのですが、こういうのを

   「上から目線」

って、言うのかも知れませんね。
 ま、相手は天下の鴎外ですから、上から見られるのは当たり前なんでしょうけれども。

 いえ、僕は別に鴎外が嫌いなわけでは全くないんですが、なんか変な展開になってきたんですが、でもやはり、こんな風に思ってしまうということなんです。

 「鴎外先生、そんなにこの小説についても情熱的に書かれているわけでもないんでしょ。なぜ、こんな小説をお書きになるんですか」と。

 えーっと、いわゆる文学史的には、なぜこの小説を鴎外が書いたかということについては、以下の定説があります。

 猖獗を極めるように文壇中に流行っている自然主義小説が、極めて「露悪的」に性欲を描いていることについて、果たして日本人の性欲はさほどに「どぎつい」ものであるのか。ワシなんか全然そんなことないもんねー。いっちょ、ワシの「性欲的自伝」を書いてみるか、と。

 しかしこんな「定説」では、納得できませんね。
 そこで、以前の『雁』の時のこともあったものだから、ちょっと注意しながら読んでいったんですが、ああ、やはり僕は間違っていたんだなーと、つくずく思いました。
 例えばこんな所です。

 飯の時にはお蝶がお給仕をする。僕はその様子を見て、どうしても蝶ではなくて蛾の方だなどと思っている。見るともなしに顔を見る。少し縦に向いて附いた眉の下に、水平な目があるので、目頭の処が妙にせせこましくなっている。俯向いてその目で僕を見ると、滑稽を帯びた愛敬がある。

 他にもいろんなところに散見されますが、ちょっと意地悪に言うと、こんな表現を書いてしまうところに鴎外の「ねじれ」があるんですよね。
 そして、この「ねじれ」こそが、「諦念」なんて言われる鴎外の人生に対するニヒリスティックな信条を不十分なものにしつつも、一方我々小説好きの読者にとっては、すばらしい作品群を残してくれた、鴎外の「人生に対する慈しみ」「小説表現の豊かさ」であるわけですねー。

 小説を書くことに対する「やめれないおもしろさ」、後年鴎外は史伝の世界に沈潜してしまいますが、少なくともそこに至るまでは、やはり、例えば上記の引用部分を、とてもおもしろがりながら丁寧に丁寧に書いたであろう鴎外の姿を、今更ながら、改めて見つけたように、僕は思いました。

 ところで、冒頭の引用文ですが、これはまた見事な「性欲論」でありますねー。
 こんな文をさらりと作品中に入れる凄さと同時に、こんな文をさらりと書いちゃうから「上から目線」なんて、愚物の読者に言われたりするんですよと、お懼れながら、鴎外先生。


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Last updated  2010.02.09 18:06:15
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