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2010.02.25
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  『珠玉』開高健(文春文庫)

 えーっと、またわたくし事から入っていきますが、高校時代私は、いわば「遅れてきた文学青年」でありました。
 何に遅れてきたかと言いますと、……え?、何に遅れてきたんでしょうかねー、よく考えてみますと、とんと分かりません。そもそもここからして、エエカゲンというか、既に、流行りの真似をしているだけだったんですねー。
 
 何の真似かと言いますと、時の「文壇アイドル」であります。
 私が「文学青年的ものごころ」がついた頃の「文壇アイドル」といえば、大江・開高・石原・三島・安部・倉橋あたりじゃなかったかと思います。

 その中でも一等賞の「アイドル」といえば、やはり大江健三郎じゃなかったですかね。「遅れてきた文学青年」いうのは、実は大江の『遅れてきた青年』の真似ッコだったんですねー。
 
 ともかくそういうことで、とりあえず僕は大江健三郎を読みました。
 特に初期の作品から、どの辺くらいまででしょう、『洪水はわが魂に及び』あたりでしょうか。このあたりまでの大江の小説には、筆者の若き頃は適度な青年的ナルシズム、お子さまがお生まれになってからは、現実に誠実に立ち向かう青年知識人という感じで、「文学青年」がとても感情移入のしやすい設定でありました。

 だから、一概に僕のせいではないですよね。
 何がって、今回報告する小説の筆者・開高健の本を、さほど読まなかったことについてであります。
 
 もちろん幾冊かは読みました。
 デビュー作や芥川賞を受賞した作品。『日本三文オペラ』、これは面白かったです。三回くらい読みました。でも、あとは、ぽつりぽつりと長編が一つと中短編を幾つか読んだだけでした。僕としては、絶えず気になっていた作家のつもりではありながら、少し手に取りにくかったんですね。

 今回、久しぶりに開高健の小説を読んでみて、その理由が分かりました。(というか、思い出しました。)

 開高健の作品を少しまとめて読んだ人なら、当たり前のように理解していることであると思います。
 それは、この作家の小説は、その風貌や、世界を股にかけて釣りをするアウト・ドア派の報告や、はたまた直接には存じませんがユーモアあふれる話しぶり(『四畳半襖の下張り』猥褻裁判記録での筆者の弁護は、本当に腹を抱えて笑いました)などから想像される、マッチョでタフで荒っぽくて、そして、スケールの大きい生き方・行動力の印象と全く異なって、極めて極めて繊細な文体で書かれているということです。

 その文章への気の配り方は、何というか、全く一文節さえゆるがせにしないという表現そのままで、またそれが(いかにも大阪人的サービス精神のゆえか)、これでもかこれでもかと溢れるばかりの饒舌さで書き綴られます。

 これは、筆者の言語感覚に対する特異な才能を、全く堪能させてはくれますが、読んでいると、時に辛くなることがあります。
 そんな一文字ずつ彫りつけたような表現は、本書にも至る所で見られますが、例えばこんな部分。

 京都人が慣用語句の一つとしている形容詞に”はんなり”があって、白味噌汁だろうと、茶菓子だろうと、女の言動だろうと、すべてそれを極上のものと感じているかのようである。この石のたたえるおだやかな乳白色には”はんなり”と呼びたいものがある。春のおぼろ月夜に似たそれである。しかし、この石のおぼろさはそれだけではすまなくて、精妙な半透明があるために”冷澄”や”玲瓏”が入ってくる。”はんなり”はどちらかといえば、”人肌”の温感をしのばせるけれども、冷澄なはんなりとか、玲瓏としたはんなりとかいう美学はあるものだろうか。肌はつめたいけれど血は熱いという白皙の女がいたら、そうなるのだろうか。

 ……思うのですが、これだけ精密に言語に拘った仕事をしていると、作者にはかなり強烈な疲労が訪れるのではないか、と。
 その疲労は、我々が読んでいてちょっと疲れる、なんてものとは比較にならない質量のストレスとして、精神の中にほぐしようのない硬い芯となって澱み溜まっていくのではないか、と。

 筆者の釣りやアウト・ドアの仕事は、それとのバランス故に生まれたとは思いますが、それでバランスはとれたのでしょうか。
 開高健の、同時代作家と比べての相対的な「死の早さ」は、これとは無関係なものなのでしょうか。

 さて、本作の内容について、触れるスペースがほとんどなくなってしまいました。
 文章についても、息づまるような所がありましたが、テーマについても、読後大いに考えさせられるものでした。

 この連作集は、「遺作」なんですね。発表は、筆者の没後であります。
 本書の、三つの短編連作を貫くテーマを、無理を承知で一言でまとめますと、

  「生きる意味とは何か」

であります。こうして書くと、もうそれだけで食傷気味になってしまいそうです。
 しかしサービス精神旺盛な筆者ですから、十分に面白く、本当に「珠玉」のような作品となっています。ただ、その美しい「珠」の底に流れているテーマは、重い「生きる意味」であります。

 この思考が、亡くなる間際の筆者の頭の中にあったのだと、そう考えるだけで、面白いという以上に、何ともいえぬ背筋の伸びるようなものを感じます。

 そうして僕は、もう一度「遅れてきた文学青年」に戻って、腰を据えて、開高健をじっくり読み直したいものだと思うのでありました。


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Last updated  2010.02.25 06:38:22
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