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カテゴリ:明治期・自然主義
『黴』徳田秋声(岩波文庫) しかし、世間には山のように小説がありますから、誰がどんなタイトルの小説を書こうと全く自由ではありますが、この『黴』ってタイトルも、考えれば大概なタイトルでありますよねー。 この度本書を読み終えましたが、何が「黴」なのかさっぱり分かりません。 主人公・笹村と妻・お銀との関係の象徴なのか、それともお銀の存在が黴のようだというのか、私には良く分かりませんでした。(このことを解説した文章がきっとどこかにあると思うんですが、どなたかお教えいただければ幸いであります。) というわけで、『黴』を読みましたが、読みながら何となく気になることがあれこれ出てきたもので、歩いて10分ほどの所にある市立図書館へ行って来ました。 文学関係の辞典とか用語に関する本を覗いてみたんですね。 するとやはり、この筆者が文学史的に極めて高い評価を受けていることが、改めて分かりました。 詳しいことを挙げているとかなりの分量になりそうなので、本書についてだけ、取り上げてみます。本書における高い評価は以下の二点であります。 (1)極めて密度の高い客観描写がなされている。 (2)私小説=心境小説が自然主義文学の中心であることを定着させた。 (1)については、さらなる深化が同筆者の次作・次々作によってなされ、完成型へと導かれたそうですが、(2)については、その後の日本文学史を一新するほどの画期的な事柄で、なるほど、自然主義文学運動は廃れたかも知れませんが、主人公が作者に近い(極めて近い)という小説群は、今に至るまでしっかりと純文学小説の一分野を形作っていますね。 なるほどねー。(2)については、そのように説かれると一応納得しますね。その影響が、たとえ日本文学をかなり歪なものにした一因であったにしても。 ただ、(1)の方が良くわからないんですがね。 何が分からないかというと、かつて自分では分かっていたつもりでいた「客観描写」が改めて考えるとよくわかんないんですね。 今までは大体、客観描写といえば、「作家の主観を交えずに、観察したままを細かく、平明に描くこと」くらいの理解でいたんですね。そして、この理解はさほど間違っているとは今でも思わないんですが、本書を読んで、例えばこんな表現。 その日は雨がじめじめ降つていたが、汽車から眺める平野の青葉の影は、暫く家を離れたことのない笹村の目に、すがすがしく映つた。 この「すがすがしく」の用法は、どうなんですかね。これは問題ないんでしょうか。それとも、この表現は少しファールなんでしょうか。 確かに、本文のほとんどの個所については、丁寧に主観的表現が避けられているように読めます。それは、なるほど、すごいことなのかも知れません。 (ちなみに、私の書く拙ブログなんかは主観的表現以外はないようなものですから、もしこれを止めろと言われれば、私は一文字も書けないような気がします。) しかし、この様な表現は当然ながら、極めて「玄人好み」の地味ーーな文章となっていきますね。 そして、描かれる内容もその「うつわ」に相応しいというか、何というか、「割れ鍋に綴じ蓋」、あれ、この例えは変ですか、しかし、いかにもそんな、地味地味地味地味ーーー、という内容になっています。 筆者とほぼ等身大の小説家・笹村というのが主人公です。 一人暮らしの家事を頼んでいた婆さんの出戻り娘が、いつからとはなく同居することになって、関係がうまれます。この女性が「お銀」です。二人の間には、二人も子供が出来ながら、笹村はともすればお銀と別れたがる、本当に別れたいのならはっきりと実行すればいいのだが、言うばかりで出来ない。そんな責任逃れなだけの、ぐずぐずした関係が、ずーーーーーっと最後まで描かれ続ける。それだけの小説であります。 結局この小説の価値は、上記の表現面における評価と、内容的には、よく言われる「自然主義の無理想・無解決」にあるんだろうなとは、一応、理論的には思うんですが。 思うんですがぁ、……えー、この際、私、思い切って、素人の強みで、恐い物無しで言い切りたいと思います。 文学史的評価が極めて高くっても、そんなこと構いません。 「この小説、今となっては、つまらんでっせー。」 ああ、言ってしまいました。 実は徳田秋声の未読の岩波文庫が、我が本棚にあと二冊残っています。 この分については「つまらん」小説ではないことを願いつつ、少しインターバルも取って、そして気分一新また挑戦してみたいと思います。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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