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2010.03.18
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カテゴリ:昭和期・新戯作派

  『肝臓先生』坂口安吾(角川文庫)

 この短編集は、かつて『ジロリの女』というタイトルで出版されていた文庫本ですね。
 それが、数年前でしたか、この集中の「肝臓先生」が映画化されまして、そのおかげで、「二階級特進」(?)ということで、タイトルが変わったんでしょう。

 しかし本の構成は変えなかったせいで、相変わらず「ジロリの女」が全体の6割くらいをしめているという、まー、ちょっとだけ「恥ずかしい」本になっています。

 かつて、(今でも、なのか知りませんが)坂口安吾のいろんな作品は、角川文庫で沢山出ていました。

 そもそも安吾は、「多芸」な作家なんですね。
 「純文学」が安吾にとっては本命なのだとは思いますが、推理小説を書いたり(安吾の『不連続殺人事件』は日本の推理小説の全作品中、たぶん現在でも十指の内に入っていると思います。僕も読みましたが、人間心理の裁き方に非常にリアリティを感じました)、歴史小説を書いたり、そしてなんと言っても、ルポルタージュや時代についての鋭い発言を含むジャーナリスティックな随筆・評論のたぐいですね。

 懐かしいそれらの角川文庫は、今でも我が家の本棚のどこかにきっと(たぶん捨てていないと思いますが)、十数冊くらいあると思います。

 さて今、僕の目の前に『堕落論』の角川文庫版があります。
 この本だけがなぜ、他の安吾の本はどこに置いてあるのかも分からないのに、目の前に、つまりさっと出るところにあるかと言えば、それは、再三読み返していたからですね。

 この本も僕がおそらく高校生の頃に買った本です。表紙のカバーの一部は破れており、背表紙との境の折れ目も一部破れています。
 中のページは、周り全部が二センチ幅くらいで茶色にグラデーションしながら、ぐるりと額縁のように焼けています。
 なかなか年季の入った本であります。

 ぱらぱらとページをめくってみれば、傍線が引いてあるのに気がつきました。
 そういえば、僕にはかつて、傍線を引きながらの読書をしていた時期がありました。今の僕は、面倒なもので、そんなことはしません。
 例えばこんな個所に傍線があります。

 法隆寺も平等院も焼けてしまっていっこうに困らぬ。必要ならば、法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが、累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り月夜の景観に代わってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下ろしているかぎり、これが美しくなくて、何であろうか。見たまえ、空には飛行機がとび海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康であるかぎり、西洋風な安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生まれる。(『日本文化私観』)

 ……かつて『フーテンの寅さん』の映画の中で、渥美清があの艶のある声で、団子屋の中で朗々としゃべるシーンを、山田洋次監督は「寅のアリア」と呼んだそうですが、安吾のこんな個所などまさに「安吾のアリア」であります。

 泣かせどころですよね。
 自らには何の実力も身につけておらず、しかし社会に対しては、憎しみに近いナイフのような感情を持っている十代の少年にとって、まさにこんな泣かせどころを持つ坂口安吾の本は、「バイブル」の様なものでした。

 しかし時は移り、かつての「ナイフ少年」のナイフは、「あ、錆びてる」状態になってしまいました。はは、は。(なんとなく、反省)

 さて、今回、冒頭の短編小説集を読んで、僕は思い出しつつ、つくづく考えました。
 何をそんなに大層に、と思いますが、はっきり言うと、「安吾の小説の面白くなさ」についてであります。

 「安吾の小説の面白くなさ」。
 これについて、今回は少し考えてみたいと思います。
 以下、次回に。


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Last updated  2010.03.18 07:34:13
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