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2020.01.26
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カテゴリ:昭和期・新戯作派
  『晩年』太宰治(新潮文庫)

 以前より私は、太宰治は我がフェイヴァレット作家のひとりだと本ブログで書いてきました。今でも基本的にそう思っています。
 この度、太宰治の第一作品集『晩年』を読みまして、私は再読だと思っていたのですが、確かに読んだ覚えのある作品もけっこうありましたが、一方、これはどう考えても初めて読んだ作品じゃないかしらと思う作品もちらほらありました。

 その結果、私が結論として出したのは、昔の私は『晩年』全作品を読み切っていないというものでした。
 よくそれで、太宰治をフェイヴァレットなどと言えたものだとご批判がありましたら、それは甘んじて受けざるを得ないと愚考いたします。
 とりあえず謝っておきます。すみません。(しかし私は誰に誤っているのかな。)

 で、この度『晩年』全15作品を読みまして、まー、やはり、色々考えました。
 ざっくり出来のいいのはどれだろうと考えました、5作だけ。5作の間の順位は付けず、収録順に書いてみます。

  「葉」「魚服記」「道化の華」「ロマネクス」「めくら草紙」

 こんな感じですかね。5作間順位は付けないと書きましたが、『道化の華』は、私の中では第5位です。

 「葉」は、これは読んで心地よい断片がたくさん詰まっていますものね。
 こういう才能は、一体なんでしょうかね。(太宰は終生このスタイルの作品を書き続けましたね。)でも、やはりこういう断片を作品の核にしながら、本来は頑張って一定のボリュームある小説にしていかなければならないのでしょうね。
 今ふっと思い出しましたが、これは坂口安吾がいうところの、「文学のふるさと」のようなものかもしれません。

 「魚服記」は世評の高い一品。かつて私も、この作品についてあれこれ考えたことがありましたが、この度地域の図書館のホームページで検索を掛け、何冊かの太宰関連の本をのぞいてみますと、『魚服記』については実にたくさんの研究論文等があることを知りました。
 そんな、多くの人が魅かれるチャーミングな一作であります。

 「道化の華」は、……うーん、これは、何といいますか、いかにも若かりし太宰治らしい作品で、今読むと、はっきり言って、ちょっと恥ずかしいような気がします。

 この恥ずかしさは何なのか。
 この作品が、結局いわれるところの典型的な太宰流青春文学だからなのかもしれません。
 例えばこの作品が「青春文学」と呼ばれることについて、昔の若かった私なら、描かれていることは若いとか若くないとか関係ないじゃないかと、多分思っていました。
 ところが、今いたずらに馬齢を重ねた私が読んでみると、やはりはっきりいって内容への興味がやや薄いです。ひりひりと痛い感じは読めるものの、それは私にさほど強く訴えかけるものではありません。

 なるほど、「青春文学」とは、こういうことですか。
 少し変な納得をしてしまいました。

 「ロマネスク」は、以前より『晩年』といえば「魚服記」と「ロマネスク」だろうと思っていた作品で(本当は『晩年』全作品を読んでいなかったのに)、やはり傑作のひとつだと思います。しかし一体この作品は、どんなところが優れているのでしょうか。
 例えばこんな描写。

​ 喧嘩は度胸である。次郎兵衛は度胸を酒でこしらえた。次郎兵衛の酒はいよいよ量がふえて、眼はだんだんと死魚の眼のように冷たくかすみ、額には三本の油ぎった横皺が生じ、どうやらふてぶてしい面貌になってしまった。煙管を口元へ持って行くのにも、腕をうしろから大廻しに廻して持っていって、やがてすぱりと一服すうのである。度胸のすわった男に見えた。​

 このユーモラスな誇張法は、結局のところストーリーと語りとの距離感を作者がしっかり掴み切って書いているという、客観性の保証だと思います。
 この度太宰について少し調べていて思いがけなく知った、同年生まれの中島敦の「名人伝」を彷彿とさせるような書きぶりです。

 「めくら草紙」これは、ひょっとしたら私は初読かと思うのですが、一番まとまりのいい作品に感じました。本作がこの作品集の最後に置かれているというのも、作者の自信の表れではないかと思います。
 「道化の華」が代表する、自意識と感受性の洪水のような作品と、「ロマネスク」のような、虚構の語りの面白さを表す作品をちょうどまとめた出来栄えになっていると思います。
 いかにも作品集の掉尾を飾るにふさわしい短編だと私は読みました。

 さて、本短編集を、今21世紀の読者が読むということは、やはり太宰治の伝記的な知識や興味を持って読むことになるのでしょうか。
 それこそ、作品から作家をことごとく消していく「テクスト論」的な読み手はいるのでしょうか。また、そんな読みは可能なのでしょうか。

 これも今回太宰本を読んでいて知ったことですが、この『晩年』という本は、初版五百部のうち実際に書店で売れたのは百五十部程度だったそうです。

 この作品集に含まれた全作品に共通する主な特徴を、仮に「自意識の合わせ鏡」「自然主義的小説への反抗」とまとめますと、それはともに昭和初年の小説の流行りでもあったと聞きます。

 少し前に読んだ長部日出雄の太宰評伝の中に、この『晩年』と、太宰の「師」であった井伏鱒二の同じく第一作品集『夜ふけと梅の花』(井伏32歳)とを比べると、現在においては後者(井伏作品)に軍配を上げざるを得ないとありました。
 わたくしもそう思います。

 若さの中で若さを書く困難、という言い回しが、浮かんできます。
 もちろん、そんな試みの成果が文学史の中に残っていること自体こそが、その作家が極めて優れていることの証左ではありましょうが、やはり私はふと、そんな読後感を持ちました。


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Last updated  2020.01.26 17:05:29
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