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2010.03.30
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  『李陵・山月記』中島敦(新潮文庫)

 上記短編集の読書報告の後半であります。
 本書には、『山月記』『名人伝』『弟子』『李陵』と、四つの小説が入ってありますが、前回は簡単に『名人伝』『弟子』に触れてみました。

 さて、いつの頃からか、僕はこんな風に思っていました。
 いわゆる「正統派文学少年」は、必ず三人の「青春作家」の誰かに憧れるものである、と。
 そして、その三人の「青春作家」とは、

  太宰治・梶井基次郎・中島敦

であります。

 太宰の魅力については、今更語るまでもない気もしますが、あえて端的にまとめてみますと、「弱さの魅力」とでも言いましょうか、マイナス・カードの集積を一気にプラスにしてみせる、あっぱれ見事な言葉の芸の力であります。

 梶井基次郎には、僕は、独特のエロティシズムを感じます。
 『交尾』や『愛撫』といった作品は、エロティシズム自体がテーマになっている短編小説ですが、有名な『檸檬』(この作品も確か、高校の教科書の中にあったと記憶します)の中にも、さりげなく、おはじきを舐めるというシーンが出てきますが、それはぞくっとするほどエロティックです。

 そして今回報告の中島敦ですが、何度読んでも感心してしまうのは、あの圧倒的な格調の高さです。
 なんといいますか、漢文脈だからという説明だけでは捉えきれない独特の「キレ」があります。例えばこんな表現。

 どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巌に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って吼えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮が濡れたのは、夜露のためばかりではない。(『山月記』)

 ここには、素手でむんずと捕まえて、そのまますばらしい高みまで上り詰めるような、惚れ惚れとする美しさがある様に思います。そしてその一方で、さりげなくすっと胸元に入ってくるしなやかさも。
 まさに強弱のコントラストの妙であります。

 さて、最後に残りました『李陵』ですが、この中編小説(長めの短編小説)は、筆者の遺稿のひとつであります。
 中国の古潭などを「原典」とした幾つかの短編小説を作った後の、あるいはもう一つ上のグレードを目指した力作ではないかと思いますが、原稿は一応の完成を見ながらも、最終稿にまで至っていないのが少し残念です。

 (例えばタイトルは、筆者が原稿に走り書きのように書いた幾つかの候補らしいものの中から、生前筆者の知人であった深田久弥氏が選んでいます。)

 そのように少し不如意に思うのは、本小説には「李陵・蘇武・司馬遷」三名の生き方が描かれていますが、司馬遷についての描写に、やや全体のトーンと不調和なものを感じるからです。

 ただ、その部分は決して不出来なものではなく、全体の調和を乱したとしてもそれに触れずにはいられない、「文学者のあり方と執念」を描きたいという、筆者の強い気持ちがひしひしと伝わってくる部分であります。

 いわばこの部分こそ、筆者が小説を書き始めた頃から一貫して脳裏にあった、終生変わらないテーマであったのかも知れません。
 ただ、もしも本作の決定稿が完成するまで筆者の生があったならば、あるいは大きな変更があったかも知れないと思われる部分でもあります。

 そのようなことを含め、この未曾有の天才の、わずか三十三年間の生の短さを思いますと、人智ではいかんともしがたい事柄ではありながら、やはりそこに、惜しんでも惜しみきれない無念さを感じるものであります。


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Last updated  2010.03.30 08:00:20
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