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カテゴリ:明治期・反自然鴎外
『阿部一族』森鴎外(岩波文庫) 本短編集には、三つの小説が入っています。 『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『佐橋甚五郎』 の三作です。これは、大正二年に『意地』という総題で出された単行本と、同内容であります。 作者自身がこの単行本を出版したとき、「阿部一族等殉死小説を整理す」と日記に書いているということです。 つまり、これらの作品のテーマが同様に「殉死」にあるということですね。 さて、この度本書を読み、少しあれこれ調べたりしまして、僕は大いに啓蒙された気がしました。併せて、以前『阿部一族』を読んだ時に、僕は読み損なっていたことが分かりました。 そして、こんな云い方は「不遜」ではありましょうが、筆者・森鴎外について改めて大いに「感心」いたしました。 もう少し、順を追って説明したいと思います。(でも僕の説明ですので、どうもあっちこっちに飛んで行きそうではありますがー。) いろいろ思ったことのうちの一つがこれです。 「あ、これは、アメリカの銃規制問題だな」と。 ははは、早速脇道に逸れておりますが、こいつはいったい何を言い出したのかとお思いのことと推察いたします。なに、別に、大したことではありません。 アメリカの銃規制問題がなかなか根深いのは、アメリカにおける銃の位置づけが、かつての日本でいえば「武士道」倫理と同じものになっているせいだなという、どうですか、これは「卓見」ではありませんかね。 ストーリーに従っての、もう少し詳しい報告はこの後いたしますが、この三つの小説の中には(『佐橋甚五郎』の戦国時代における行為はおくとしても)、主なストーリー以外の処でも、どんどん武士同士が突発的に私闘を行い、そしてどんどん相手を殺したり自死(切腹等)したりしています。 このことをもって僕は、武士の存在あるいは武士道倫理が、あたかもアメリカにおける銃の存在に相似しているのではないかと考えたということであります。 うーん、こうして説明してしまうと、別に「卓見」でも何でもないですねー。 でも、アメリカにおける開拓者精神へのノスタルジーと、日本における武士道へのノスタルジーは、とても似ていると、僕は、やはり思うものであります。 では、もう少し具体的に作品に即して考えてみたいと思います。 最初の『興津弥五右衛門の遺書』ですが、これは、大正元年に発表された、なかなか有名な短編小説です。 何故有名かといいますと、一つは、本作が鴎外の創作歴の中で転機となった作品であることです。 本作以降、鴎外は歴史小説に手を染め始め、そしてその嗜好はさらに史伝へと進んでいく、まさに「嚆矢」となる作品であります。 二つめの理由は、この作品が、明治天皇への乃木将軍の殉死に触発された作品である(乃木将軍の殉死が発表されて、わずか三日間で本作は書き上げられています)という、一つの時代の終わりの意味を描いた作品であるからです。(言わずもがなですが、同テーマを扱った小説に、漱石の『こころ』がありますね。) ところが、本作については、僕は以前よりどうも腑に落ちない点が一つありました。 主君の命令に対する解釈の違いから同僚を斬り殺してしまった主人公が、切腹しようとしたのを主君に諫められ、そしてその主君が亡くなった十三回忌に念願の「殉死」を果たすというお話しです。 ストーリーもさることながら、本作には、筆者の強烈な「意志」の様な迫力が、全編を覆っています。 それは上述したように、実際の乃木将軍の殉死が筆者にもたらしたものでありましょうが、僕が気になるのは、この話の中に、切腹を止めた主君への感謝の思いはあっても、私的な諍いの結果殺害した同僚に対する謝罪の念が、全く見られないことであります。 これは、何でしょうか。 短編故に、テーマが不明瞭になることを嫌って、鴎外は触れなかったのでしょうか。それとも、僕のような感じ方は、この時代(作品中の江戸時代)には、無かったものなのでしょうか。 僕はここに、本作初読時にも感じた、人間性をいびつにゆがめたような「気味の悪さ」を感じました。 そして、さらに、そんなテーマを描いた鴎外に対する「不信感」も。 以下、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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