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2010.04.15
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  『少年死刑囚』中山義秀(角川文庫)

 この文庫本には、二つのお話しが入っています。
 総題になっている短編と、もう一つ『魔谷』という、えーっと、これは「私小説」でしょうかね。作者は、若い頃は横光利一と共に同人誌なんかを作っていらっしゃいますから、そんな時代の話です。

 小説家である主人公が、三人の妻を持った経緯(死別と離婚)が描かれます。そしてその底には、生きることの何とも言えぬ寂しさが流れています。
 ただこのお話は、もう一つの『少年死刑囚』と違って、終わりに「諦念」のような静謐さが少し見えます。読後感は悪くないです。

 一方もう一つの小説『少年死刑囚』ですが、これが、僕にはどうもよくありません。
 上記に「読後感」と書きましたが、角川文庫の解説に、田宮虎彦が「この作品が、最後に読者の心に残す感銘には、妙に明るいものがある」と書いているんですが、これがどうもよく分からないんですね。
 どう読めば、「明るいもの」が残るのか。
 僕はどうにも、そんな「向日性」の印象は持てませんでした。

 さて、この小説はタイトルからも分かるように、犯罪者が主人公の小説です。冒頭にこんな風に書いてあります。

 左記の書は、昭和二十三年二月、某地方裁判所で死刑の言渡をうけた、昭和六年一月生まれ、当時かぞへ年十八歳の少年の手記である。少年の犯罪は、強盗殺人、同未遂、放火未遂。

 「ピカレスク・ロマン=悪漢小説」という文学ジャンル(「ジャンル」とは少し違うのかな)がありますね。
 その多くは、「ビルドゥングス・ロマン=教養小説」の裏返しです。つまり、「負」の「成長小説」です。

 でも、『罪と罰』や『異邦人』などを挙げるまでもなく、そもそも文学は、いつも犯罪と隣り合わせに位置していたはずであります。なぜなら、人間は「罪」を犯すものだからです。
 つまり、「ピカレスク・ロマン」とは、犯罪から人間性の真実と不可解を描き出す文学なわけですね。

 しかしどうでしょう、もしもこの小説の犯罪が現在行われたならば、主人公は、いろいろな取り調べや調査などを受けた後、たぶん「妄想性人格障害」と判断(「診断」?)されるんじゃないでしょうか。

 「妄想性人格障害」と判断された最近の顕著な例は、大阪教育大学附属小学校の無差別児童殺傷事件の犯人ですね。

 上記に僕は、読後感に明るさがないと書きましたが、それは主人公の生き方の中にある陰惨な印象まで与える「こすっからしさ」が、不快感の原因だと思います。

 この「こすっからしさ」、人間の善意を全く信じず、すべての悪い結果をことごとく責任転嫁し、周囲に悪意と呪詛と投げつける、邪悪なエゴの亡者のような姿が、「妄想性人格障害」の内面(もちろん個人による程度の差はありますが)であります。

 これは、何というか、ある意味で本人も辛い、精神的な何かの「欠落」状態であるとは思いますが、理性的にはそう理解していても、僕はちょっと堪えられません。

 また、これも人間精神の表現された形である以上、文学的な「真実」だと言われれば、たぶんその通りではありましょうが、やはり僕はちょっとダメですね。

 そんな、ちょっと「辛い」小説でした。
 終盤、死刑確定後の主人公の精神の幅の大きい揺れの部分、エゴの塊から急激な宗教への傾斜が起こり、さらに話は二転三転します。
 そして、彼が最後に行き着いたところに見られる心の闇には、『魔谷』に見られるような硬く深い孤独が影を落としますが、しかしそれをもって、一種の「静謐」の境地とは、やはり(『魔谷』とは違って)僕には読めませんでした。

 ドストエフスキーならずとも、「罪と罰」を扱った話は、なかなか判断や感想をまとめることが難しいものですね。


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Last updated  2010.04.15 06:53:13
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