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2010.05.01
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カテゴリ:明治期・自然主義

  『耽溺』岩野泡鳴(岩波文庫)

 クラシック音楽が好きなくせに何も知らないので、その代わり、この道の僕の先達である友人を「師匠」とあがめて、いろいろとお教えを頂いています。
 ところが、幾つかの事柄について、僕としてはどうも納得しがたいこと、「師匠」と意見が合わないことがあったりします。

 それは細々といろいろあるのですが、少し無理に一言でまとめて言うなら、実は音楽以外の「モラル」についてであります。

 例えばプッチーニの『蝶々夫人』ですね。
 僕はあのストーリーに、どうしても抵抗感を感じずにはいられません。
 「師匠」は、あれだけ優れた歌が入っているオペラであるのに、それに、作られた時代には当然その時代固有の価値観があるのに、「歴史を現在の価値だけで判断する愚」とおっしゃるんですね。

 いえ、それは分かるんですがね、理論的には分かるんですがー、どうも、何というか、生理的な皮膚感覚として、納得できないんですよねー。

 例えば、音楽家の人間性やモラルについても、意見が合いません。
 (それに、音楽の本場ドイツといえば、どうしても第二次世界大戦中のナチスとの関わりなんて事がちらほらと僕の頭には浮かんだりして、それについても話が合いません。)

 音楽的才能と人間性とは、なんら交錯あるいは連動する部分を持たないんでしょうか。
 うーん、その通りであるような、いや、そんな意見には与したくないような、ちょっと考えてしまうんですね。

 で、さて、ここに岩野泡鳴がいます。
 人間的にはどうしようもない気がします。ただ僕がそう判断をする、その判断の材料は、岩野泡鳴が書いた小説によってなんですね。
 まずそれをどう考えるかという問題があります。

 次に、上述のものと同じ、文学的才能と人間性、という問題ですね。
 こんなのは、まるで無関係なものだと言ってしまえば簡単なんでしょうが、例えば、今回報告の小説には、夫婦間、または男女間における、男性側の完全なモラルの欠如が描かれています。男であるという、それだけの理由の特権意識です。

 まー、考え方や慣習の時代的限界であるといってしまえば、そうかもしれませんが、その立場に安住してふんぞり返っている主人公の姿には、僕は何ともいえない嫌悪感を覚えます。
(そもそもそんな歪な状況にありながら、意に添わぬことが起きると主人公が苦悩するという展開は、馬鹿馬鹿しいと共に腹立たしくなってきます。)

 男女間の差別だけではありません。描かれている主人公の意識には、そもそも何の根拠もない、自らの存在そのものに対する特権意識が伺えます。
 これはいったい何なのでしょうね。

 わたくし、思うんですがね、実はこれは、作家であること(=知識人であること)を根拠としている特権意識ではなかろうかと、密かに思いますんですね。
 (少し本題から離れますが、現在においてはさらに、上記の「=」は成立するかというところから考えねばならぬと思っておりますが。)

 なぜいきなり「密か」になってしまったのかと申しますと、この意識は、実は僕が好きな漱石などの中にも流れているものであるからです。

 例えばそれは、『坊っちゃん』にみられる地方差別や、『猫』の中に描かれていた経済人や経済活動に対する故のない差別意識として現れています。

 さすがに漱石も後期の作品になってくると、こんな単純な差別意識は姿を消しますが、それでも絶筆の『明暗』の登場人物「小林」の造形の端々に、まだ少しそんな残滓がみられるように思います。

 それに比べますと、二葉亭四迷にはそんな経済活動への偏見意識はありませんね。
 その代わり、彼には知識人への強烈な嫌悪感があり、その原因が知識人の持つ故のない特権意識のせいかどうかはわかりませんが、とにかくかなり徹底したものであります。(四迷には学歴コンプレックスめいたものがあるように思いますね。)

 さて、本題の『耽溺』の読書報告から大きく外れてしまったような気もしますが、この読書は僕にとって、上記文章からも伺えますように、少し辛いものでありました。

 ただ、その感じ方の元となった「一元描写」という描写理論そのものについては、これだけで作品を最後まで押し切ったということを含め、なかなか興味深いものがあると思いました。

 何事も、それを初めて、かつ徹底的にやるというのは、それなりに評価されてしかるべきだと、僕は考えます。


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Last updated  2010.05.01 07:40:06
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