【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半男性 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年男性 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期作家
2010.05.06
XML

  『風立ちぬ・美しい村』堀辰雄(岩波文庫)

 水車の道の上へ大きな枝を拡げている、一本の古い桜の木の根元から、その道から一段低くなっている花畑の向うに、店の名前を羅馬字で真白にくり抜いた、空色の看板が、さまざまな紅だの黄だのの花とすれすれの高さに、しかしそれだけくっきりと浮いて見えている。(『美しい村』)

 父の側にいることがお前に殆ど無意識に取らせているにちがいない様子や動作は、私にはお前をついぞ見かけたこともないような若い娘のように感じさせた。(『風立ちぬ』)

 かつて三島由紀夫は、堀辰雄の文章をこう述べています。

 堀辰雄氏の文章はまるでどの文章にも堀辰雄製という印鑑が捺されているように、誰の眼にもすぐわかる特徴をもっています。作家がこれほど特徴のある文体をもつことは、作品の世界を狭くする危険もないではないが、堀氏はそれを堂々と押し通して、長く病床にありながら、自分の芸術的世界を守り通した稀有な作家であります。(略)氏は自分の気に入ったものだけを取り上げて、自分で美しいと思ったものだけに筆を集中しながら、自分の気に入った言葉だけでもって、美しい花籠を編みます。『菜穂子』のような長編を書きはしましたが、やはり本質的な短編作家であって、その文章は明晰さに仮装された感覚の詩でありました。(『文章読本』)

 さすがに上手に解説していますよねー。でもよく読めば、「自分で美しいと思ったものだけに筆を集中しながら、自分の気に入った言葉だけでもって、美しい花籠を編みます。」なんて個所は、堀辰雄の文章の解説に託して、読者に、自らの小説を読む際の注意事項を教えているみたいですね。
 (この三島の『文章読本』については、井上ひさしがその分析力を認めつつも、かなり強い嫌悪感を表しましたが、今読んでみると、要するにこんな「上から目線」のせいだったのかも知れませんね。)

 ともあれ、三島の堀辰雄文体の説明については、全くその通りだとは思いますね。
 しかし、今回僕が取り上げたこの短篇集には、上記に一部を抜き出した二つの短編小説が入っていますが、その文章については、三島の一文に一言で説明されているにもかかわらず、実は微妙に異なっています。

 まず、冒頭の『美しい村』から抜き出した一文ですが、どうですか、すぐに文脈が辿れましたか。最後の「くっきりと浮いて見えている」のは、何がそうであるのか、すぐに分かりましたか。
 僕は、四回ほど読んで(そのうち二回は声を出しながら)、それでやっと、たぶんこうだろうと思えたくらいであります。

 『美しい村』は、こんな文章が、あまり改行されることなくびっしりと詰まったまま続いていきます。読んでいると、なにか、抽象画を見ているような、あるいは音楽を聴いているような感じのする文章です。

 上記の引用の二文目は、『風立ちぬ』から取りましたが、こういう無生物主語の文もしばしば見られます。実に独特な、なにか「眩暈」の様な感じを受けますねー。

 さらにもう一つの特徴として僕は気が付いたのですが、そんな抽象性の高い文章なのに、比喩表現が殆どありません。事物や風景の説明がそのまま克明に描かれているばかりなんですね。

 なるほど、三島が述べるところの、いかにも堀辰雄独特の(そもそも一文が極めて長く、そして、読点の打ち方の独特であることが、文脈理解を難しくさせています)、少しずつ屈折しながら、飛び石のようにイメージを次々捉えていく文章でありますね。

 さて、このような文章は、もちろん読み始めにおいては読者に一定のストレスとなりますが、さらに読み続けて、筆者独自の文章の「息」に慣れてくれば、この読みづらさは、まるで朝靄の掛かった別荘地の林の中を散歩するように、独特の拡がりを持ったイメージを伴ったものとなってきます。

 「朝靄の掛かった別荘地の林の中」と今書きましたが、もちろんこのイメージは、実際のこの小説の舞台がそうであるからですね。
 軽井沢の別荘地が舞台であります。

 そんな風に捉えてみますと、この作品は、文体と内容が渾然一体となった、まれに見る美しいマーブルのような作品だと言うことができますね。

 しかし、それだけであるなら、いくら何でもさほど堀辰雄の小説が読まれるとは思えません。やはり、文脈のたどりにくい文章は読みづらいです。
 あー、いいなー、堀辰雄だなー、と思わせるのは、次の『風立ちぬ』でありました。

 次回に続きます。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

/font>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.05.06 06:29:21
コメント(0) | コメントを書く
[昭和期・新心理主義] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

パブロ・ベルヘル「… New! シマクマ君さん

やっぱり読書 おい… ばあチャルさん

Comments

analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

© Rakuten Group, Inc.