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カテゴリ:明治~・詩歌俳人
『猫町』萩原朔太郎(岩波文庫) 朔太郎と猫といえば、もちろん『青猫』という日本文学史上五指に入るような詩集のタイトルがありますが、(そもそも猫は朔太郎に霊感を与える動物のようですが)『月に吠える』の「猫」の詩が僕にはとても印象的です。有名な詩なんでちょっと抜き出してみますね。 猫 まつくろけの猫が二匹 なやましいよるの家根のうへで、 ぴんとたてた尻尾のさきから、 糸のやうなみかづきがかすんでゐる。 『おわあ、こんばんは』 『おわあ、こんばんは』 『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』 『おわああ、ここの家の主人は病気です』 ……この家の主人は病気ですって、あんたが病気なんでしょうが、って初めて読んだときは思わずつっこみを入れてしまいました。 特に『月に吠える』の詩はほとんどがそうですが、我々鑑賞者としては、そのままに読んでそのままに「すごがる」(って表現は、違反ですかね。ひたすらすごいナーと思い続けるって事ですが)しかないように、最近僕は思っています。 もう少し若かった頃は、この凄さの秘密は一体どこにあるのかと、少しはあれこれ詩の解説文章なんかを読んでみましたが、(当たり前なのかどうかは知りませんが)結局言葉の置き換え以上に納得できたものはなかったです。 そういうことで言いますと、詩の鑑賞を文字に表すというのは、絵画(例えば抽象画でも)とか音楽の鑑賞を文字に表すよりもっと難しいように思います。 文字で描かれていない芸術の方が、返って文字媒体にした時に少しは掬い取れる物があるような気がします。 文字媒体の芸術は、別の文字に置き換えたところで、その本物の表現より良くなりっこありません(良くなるんならその本物の芸術の出来が悪いんですよね)。 そこで僕は数年前より、すごい詩を読んでは阿呆のように「すごいなーすごいなー」だけ言ってきました。「白痴読み」ですね。 ということで今回取り上げた岩波文庫の作品集ですが、今後、詩作品を本ブログでも取り上げるか否かと言うことを少しは考えていたんですが、まぁ、「試供品」のような感じで、とりあえず取り上げてみました。 (よく考えれば、かつて宮沢賢治の童話も取り上げましたものね。) さて本短篇集は三つのパートから成り立っています。 一部・小説、二部・散文詩あるいはアフォリズム、三部・随想、と、こういう構成です。 こうして各パートの作品にとりあえず「レッテル」を張ってしまいましたが、そのように考えたらそんな気もする以上の意味は、実はありません。 そもそも僕は「散文詩」というものがよくわかりません。 そんなこと言っちゃうと「小説」と「詩」だって、その国境線はよくわからなくなってきます。 (朔太郎は『詩の原理』の中で、「小説は文学に於ける詩の逆説である」と言っているそうですが、無知・不勉強で何のことかよくわかりません。) ただ本書の中では「散文詩」的な第二部に面白い話が多かったと僕は思いました。 「自殺の恐ろしさ」自殺の恐ろしさとは、死へ向かってのその決行から、死の完成までの間の、ごく短いタイムラグの間に取り返しのつかない己の行動への後悔が出現することが恐ろしいのであるという、いかにも朔太郎的なオリジナリティと穿った発想が面白かったです。 「詩人の死ぬや悲し」芥川とニーチェのエピソードが悲しくもどこか懐かしさを伴って哀切。詩人の、持って生まれた才能に対する存在論的な不幸を描いて余りあります。 「虫」これこそ詩人による詩人自身の内面描写。「鉄筋コンクリート」という言葉の「謎」に取り憑かれた詩人を巧まぬユーモアを交えて描き出します。そして言葉の秘密を知った詩人の快哉。詩と美と言葉とそして狂気の、綱渡りのような緊迫感が実にスリリングで、読後、スポーツ観戦のような爽やかさが感じられます。 とまぁ、細切れに書いてみました。 第一部の「猫町」を中心とする小説は、芥川と宮沢賢治と梶井基次郎とそして江戸川乱歩を足して割ったような作品でしたが、小説としてみると、もう一歩展開に「キック」が足りないように思いました。 だって筆者は小説家ではなく、しかし日本一の詩人なんですものね。 ということで、私事ながら、詩の批評はやはりなかなかできるものではないなという感想に、もうしばらく落ち着きそうであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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