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2010.05.22
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  『遙拝隊長・本日休診』井伏鱒二(新潮文庫)

 かつて一年に364日くらいお酒を飲んでいた時期がありました。
 いえ、しっかり体を痛めて、今は控えているんですがね。

 そんな酒飲みはみんな下痢体質だと、中島らもの小説で読んだことがありますが、僕もその例から漏れません。
 というより、僕は幼かった頃から「お姫様腹」と言われていまして、すぐにお腹を壊す、下痢をする体質でした。

 今ではだいぶ治っているような気がしますが、その代わり(その代わりってのも変ですが)息子にしっかり遺伝して、息子は「お姫様腹」です。
 (ついでに、「お姫様腹」の対義語が「乞食腹」で、何を食べても、腐りかけているものを食べても大丈夫な消化器官を持った人のことを指します。あー、女房なんかがそうなのかも知れません。)

 小さかった頃、よくお医者さんが家に来て、僕はお尻によく注射をされました。
 (昔はよくお尻に注射をされたんですが、今でも小さい子供については、そんなことするんですかね。うちの子供についての記憶では、そんなシーンはないんですがね。)

 お尻に注射はともかく、かつては「往診」ってのがかなりあったような気がしますが、これも今はもう、ほぼないんでしょうね。
 それはもちろん、マイカーが行き渡り、発熱中の子供でもお医者さんまで連れていけるという社会事情の違いや、やはり、往診って、お医者さんにとっても大変でしょうからね。

 でも少し穿ったことを言いますが、往診がなくなって、お医者さんが少し近寄りがたい「偉い人」になってしまったような気がします。(穿ちすぎの意見でしょうか。)

 さて、冒頭の作品集に収録されている『本日休診』は、昭和二十四年から二十五年にかけての連載発表です。産婦人科医の三雲先生は、往診だらけです。そして、今読むと信じられないような(しかし間違いなくリアリズムの)仕事風景です。

「先生、大手術なさる前には、やはり先生もお酒を召しあがるんですね」その男は、顔に緊張の色を見せて云った。「私は岡山の生れですが、あそこの医科大学の、何とかさんという外科の博士さんも、やはりそうでした。大手術の前には、お酒を飲むという話でした。いざ、これからというときに、きゅうッと強い酒を飲むそうです。足から生れる児を出すのは、やはり大手術の部にはいりますでしょうか」
「初産かね」
「二度目です。七年前に産みましたが、安産でした」
「じゃ、大したことはない」


 こんな時代が「古き良き時代」といえるのかどうか僕には少しわかりませんが、少なくともこの時代は、人間は生活の隣にいつも死を伴っている、つまりもっと自然の中で生きていた時代だという気がします。

 さて、筆者井伏鱒二氏ですが、上記のような表現を読んでいると、いかにも達者だなー、という感じがします。
 井伏氏のこの達者ぶりは、初期作品の『山椒魚』の頃からそうですが、肩に力が入るということが全くなく、それでいてとても的確な描写であり、まさに「無手勝流・天衣無縫」という気がします。
 全く見事なものであります。

 一方、もう一つの収録作『遙拝隊長』についてですが、実は僕はこの本は再読で、前回読んだ時は(もうかなり昔です)、こちらの小説の方がおもしろく感じられました。
 しかし再読して、今回はさほどおもしろがることができませんでした。

 狂人に、軍隊において用いられる権威主義的言葉を用いさせ、さらに軍隊用語的な説明を加えるのですから、そこに、権威の転倒によるユーモアと、強烈な批判精神が生まれるのは間違いのないところではありますが(そして前回読んだ時は、僕もそこに快哉を叫んだことは間違いないのですが)、今回読んでみて、少し身も蓋もないという感想を抱きました。
 もちろんそんなところは筆者も十分承知して、作品の終盤から最終場面にかけて、軍国思想批判にとどまらない、人間の存在そのものへの深い視線が見られはするのですが、僕は少し、さはさりながらと思えてしまいました。

 でもそんなのって、きっと贅沢な不満なんでしょうね。
 この二作は、間然とすることのない、引き締まった作りの好短編といってしまって、過つところはありません。


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Last updated  2010.05.22 07:58:02
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