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2010.06.03
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カテゴリ:明治期・自然主義

  『新世帯・足袋の底』徳田秋声(岩波文庫)

 もうだいぶ昔の話なので、細かい部分はほとんど覚えていないんですが、夏目漱石の『それから』の映画、松田優作と藤谷美和子が主演をしていたやつですが、子供のいない夫婦の夕方から夜を描くシーンがありました。

 それを見ていて、明治時代の庶民の家庭って本当に暗いんだ、と言う感想を強く持ったことを思い出しました。

 「暗い」というのは、一つにはもちろんうまくいっていない夫婦生活を描いていたから暗いというものありましたが、何より物理的に「暗い」のですね。
 テレビもないしラジオもないし、オーディオもなくって本を読むには明かりがとても暗いとなると、夜とは、本当に眠ることくらいしかすることがなかったんでしょうね。
 今の生活に慣れてしまった私には、ちょっと堪えられないような気がしました。

 さて本書には、四つの短編小説が収録されていますが、一番「キレ」のよかったのは『新世帯』だと思いました。
 どう「キレ」がよかったかと言いますと、何とも言いようのない、よーするに「実も蓋もない」リアリズムのありようがです。

 タイトルからも分かるように新婚夫婦のお話です。現代小説ですから、発表年前後の明治の末年が時代設定です。酒や塩を商う小さなお店の若夫婦ですが、その描写に、実に見事に飾り気というものがありません。

 浮ついた描写やお互いへの買いかぶりや憧れ、生活の夢や錯覚やおっちょこちょいや……、要するに我々が日々暮らしていく上で、例えそれが現実的な力を持たない物であっても、無いとなるとちょっと暮らしにくい、日々を過ごして生きづらいと感じる無形のものが、見事に抜け落ちいてます。

 昔の日本人の多くはみんなこんなのだったんでしょうかねー。
 うーん、そんな気も少しします。例えば漱石の『門』もそんな夫婦の話でしたよね。
 あの小説もたいがい暗かったです。

 ただそんな暗さに徹底したこの作品自体には、やはり大いに意味があると思いますね。
 文学史的に言うところの、自然主義の「無理想無解決」ですね。

 もともと尾崎紅葉の門下にいた徳田秋声が、紅葉の死後、師とは異なった道を探っていく中で、初めて自らの文学の方向性について、一定の自信を持つことができたといわれている本作です。当然、それなりのきっちりした書き方ができています。

 そしてこの度、読みながらふっと思ったことがありました。
 本短篇集入っている四つのお話のうち、『新世帯』と『彼女と少年』がなぜかとても読みやすいんですね。
 これは何かなーと思っていたんですが、なるほどと気が附きました。例えばこんな部分。

 「ア、酔つた!」とお國は燃えてゐる腹の底から出るやうな息を吐いて、「ぢや新さん、此で綺麗にお別れにしませう。酔つた勢でもつて……。」と帯の折れてゐた処を、キユと仕扱いてポンと敲いた。
 「ぢや、今夜立つかね。」新吉は女の目をみつめて、「あつし送つても可いんだが……。」
 「いいえ、然して頂いちや反つて……。」お國はもう一度猪口を取りあげて無意識に飲んだ。
 お國は腕車で発つた。


 ここは、てきぱきと気っぷのよい女性を描写しているところですが、そうではない、ぼんやりしたおどおどとした女性を描いている場面でも同じで、とても生き生きとしています。そして上記の二作品に、女性描写が多いんですね。それが私が読みやすいと感じた原因でした。

 女性の細かい仕草がとてもくっきりと描かれていて、実にリアリティに溢れています。読み終えてから、少し作者について調べてみると、「秋声の女性描写には定評がある」という文章が見つかりました。
 なるほどねー。男性がうまく書けるというのも大切なことではありましょうが、女性がうまく書けると、なんだかプラスアルファの魅力が作品に生まれてくるとは、女性仮託の小説を書かせたら天下一品の、太宰治を引き合いに出すまでもありませんよね。

 なかなか、秋声という作家も隅に置けない人なのかも知れません。
 いえ、考えれば、そもそも作家とは、そんな人達でありましょうけれども。


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Last updated  2010.06.03 06:33:24
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