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2010.07.28
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カテゴリ:明治期・自然主義

  『号外・少年の悲哀』国木田独歩(岩波文庫)

 またまた、いろんな事をモーソーしているんですがね。
 今回はどんなことを考えているかというと、まー、こんな事です……。

 目の前に、小説の固まっているのがあるんですね。
 小説の固まりっていったいどんな形をしているかと申しますと、えー、ちょっと前にはやったテレビゲームなんかにあったように思うんですが、「スライム」。小説の固まりって、そんな格好をしているんですね。

 ぶるぶると細かく震えたりしています。指でつついてみると、ぷよぷよしているんですね。色は、んー、色までは考えていませんでした。すみません。

 そんな小説の固まりがありまして、そこから、あれなんて言うんでしょう、「浣腸器」って、ちょっと上品さに欠けますかね。
 まー、元々上品さとは縁のないところで書いているブログですから、別に下品だって言われても気にはならないんですが、とにかくそんな、注射器の親分みたいなものを、小説の固まりにぷすっと差し込みます。そして、そこから、ちゅーーーと、「ストーリー」を吸い上げるんですね。ちゅーーーっと。

 この、小説に突き刺された浣腸器からちゅーーーと吸い上げられるストーリーって、なかなか背筋がぞわぞわとするような詩的なイメージですね。そんなことないですか。

 とにかくちゅーーーーーと吸い上げる。吸い上げる。吸い上げる。
 とすると、どうなるかと言いますと、ストーリーがどんどん無くなっていくわけですから、今までストーリーに奉仕していた「描写」はすることが無くなってしまうわけです。

 ちょうどメイド喫茶のメイドさんたちが(実は恥ずかしながら、私はメイド喫茶なるものに一度も行ったことがありません。行こう行こうと思いつつなぜか時機を逸しておりまして、気持ちの上では誠に忸怩たるものがあります。だから以下のメイド喫茶のイメージは、私の全く想像上のものであります)、ご主人様が全くいなくなったために奉仕をすることができなくなって、仕方がないから、ネイル・アートに精を出してみたり、アイ・シャドウを塗り直してみたり、改めてお顔のいろんなパーツの化粧をいじり直してみたりと、自らを飾り立てることしかすることが無くなってしまった状態なわけです。

 その結果、小説はどうなるかというと、多くは「散文詩」と呼ばれるものになっていくんじゃないでしょうか。多分。

 そんなことを考えていたんですが、さて今回は、冒頭の短編集の中から、『疲労』というわずか5ページの小説を取り上げてみます。
 なにを隠そう、この作品こそが、私が考える「ストーリーを吸い上げられた小説」であります。

 そもそも何をどう書いてもよいジャンルが小説です。古今東西、多様性の限りを尽くしています。しかしそれも限界か、ああこれよく似たの読んだとか、これとこれには影響関係あるよね、とかいった状態になっています。
 人間の想像力にはやはり限界はありそうです。全くのオリジナルというのは、さほどあるわけでもありません。

 そしてこの作品の特徴の、ストーリーがほとんど無い、いえ、無いことはないんでしょうが、その意味する部分が描かれていないとは、もう少し具体的に言えば、「起承転結」の「起」と「承」で「めでたしめでたし」状況の小説だ、ということであります。

 実はこのタイプの小説、私は過去に何種類か読んだことがあります。
 解釈としては3種類くらい考えられます。ちょっと、整理して書いてみますね。

 (1)明治大正期あたりの作品に見ます。このタイプは要するに、エスキスですね。読者意識とかが余り発達していない時代というか、そんな筆者が放り出したように発表します。この作品自体には、さほど意味はありません。ただたまに、これがその後大化けして名作につながることがあったりします。(そういえば村上春樹の初期の短編にもそんなのがありました。)

 (2)小説的「引っ掛かり」のほとんど無い小説を確信犯的に延々と書いている小説家がいます。保坂和志氏なんかがそうです。氏の作品は見事に小説的「引っ掛かり」がありません。そのかわり、実際的な分量があります。つまり、保坂氏の小説は「ご近所付き合い」小説で、引っ掛かり無くずるずる続くことに意味があるわけですね。「無事これ名馬」小説と名付けることができそうです。

 (3)小川国夫の『アポロンの島』なんかがそうですが、これも初めはストーリーが吸い上げられている小説かと思いました。しかし、じっくり丁寧にまるで落としたコンタクト・レンズを探すようにして読むと、実にシビアなストライク・ゾーンがひっそりと佇んでいることがわかります。こんな小説は、玄人の読み手を必要とします。はまり込んでいくと結構奥が深く、マニアを生みます。

 と、三種類の分析をしましたが、本作はどれに当たるかと言いますと、んー、たぶん3型かな、っと。
 
 わずか5ページの中に登場人物(名前のみ含む)が9名、場面の切り取り方のなかなかソリッドなこと、そして、終盤、主人公の顔色が土色をしているという部分のリアリティなどを指摘してみますと、筆者国木田独歩の、初期の田園文学的書きぶりが、後期自然主義的色合いを加えていく過渡期に、あるいは別の流れとして現れ得たかも知れないユニークな散文詩的自然主義作品の片鱗が、この掌編に見えるように思うのは、私の穿ちすぎでありましょうか。


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Last updated  2010.07.28 06:20:29
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