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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2010.07.31
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  『おはん』宇野千代(新潮文庫)

 小説はもちろん読みますが、それ以外の趣味的なものとして、私はクラシック音楽もかなり聴くのですが、かつては、絵画を見に行ったりするのも好きでした。いえ、今でも好きなんですが、ここしばらくは何となく美術展にも行きそびれていましたところ、たまたま招待券をいただいたもので、久しぶりに行って来ました。

 「日本近代の百年の美術をたどる」という展覧会で、明治時代の始め、日本における西洋画の黎明期から昭和の第二次大戦後あたりまでを鳥瞰した美術展で、なかなか見応えがありました。
 その中に戦後すぐの作品のコーナーがあり、その展示場に入った私は一見、「あ、ゲルニカ」と、声を挙げてしまいました。それほどに、ピカソの「ゲルニカ」に瓜二つに感じられた絵がありました。

 本展覧会の解説本を読んでいましたら、戦後の二科展において賞なども受賞した絵画ながら、一方で「あまりにもゲルニカであり過ぎる」という批判もあったようです。
 私は美術について全くの素人でありますが(素人故の偏見・無理解ももちろん持ち合わせております)、ちょっと表現が悪いですが、「これはないんじゃないか」と思ってしまいました。

 何というか、真似をして「ズル」をしているというのではなくて、ここまで他人の作品に影響を受けすぎている自分の作品を延々と書き続けて、そしてそれを発表するという感覚は何なのかな、と思ったわけです。
 ひょっとしたら誰も気がつかないかも知れない、なんてレベルの話ではありません。相手は「ゲルニカ」ですよ。みーーーーんな、知っていますよ。

 んーー、一体どういう事を考えて、制作し、そして発表なさったのでしょうねー。

 さて、今回の報告作品『おはん』ですが、一読、谷崎潤一郎の影響明らかです。
 例えば、こんな文章です。

「ふん、いややて? 一しよになるの、いややて?」とあとさきもなう声たてて言ひますと、おはんは、
「あんさん、何いうて、」と言うたかと見る間に、いきなり私の胸もとへ跳びかかつてまゐりました。そのまま顔よせて、ひーいイ、ひーいイと声たてて泣きはじめたのでござります。
 そのぬくとい、湯のやうな涙のわが内懐を伝うては流れるのが、なにやら肝にしみるやうに思はれてきましてなア、
「はあ? うれしいか? うれしいと言うてくれ。おオ、泣け、泣け、」と私はおはんの背を抱いたまま、気が違ふやうになつて申しました。


 この文体は、やはり谷崎潤一郎の諸作品、『卍』『芦刈』または『猫と庄造と二人のおんな』などに酷似しているように思うのですが、小説の場合は、文体・設定酷似だけでは、なかなか簡単に言い切れないでしょうかね。

 事実本作は、途中までは谷崎諸作品の影響下にある感じのままに進んでいきますが、終盤思わぬ展開になり、私としては少しびっくりしました。

 簡単にまとめますと、二人の女に愛されてその真ん中で全く無意志的に踏ん切りのつかない、男女関係にだらしない男を描いた作品です。

 中盤から終盤にかけての話のポイントは、この男の「だらしなさ」「無意志さ」具合にあります。
 それは誠に、徹底的なもので、二人の女に挟まれて、実際ここまでだらしなくいられるものだろうかとは思いつつ、しかし、そこには妙なリアリティがあったりします。

 そのだらしなさが終盤に向かって加速度的に募っていって、果たしてどうなるものかと思う時、ふっと体の浮き上がるような浮遊感を覚えます。
 あ、これは、シュールレアリズムだなと、筆者の意図がそこにあるかどうかは分からず、私は思いました。これは一種の、やはり、小気味のよいような心地よさの感覚でありましょう。

 そして、本当の終盤、一つの大きな事件のあと、タイトルにもなっている「男」の別居中の妻「おはん」が、「男」に一通の手紙を送ります。
 この手紙が、何といいますか、実に引き締まった最後の展開となってゆきます。

 例えばこれは、小さな夜行性の草食動物の一生懸命さ、そんなイメージが浮かびます。
 何か理にかなっていない、だからその分不思議で気味の悪い、しかしせっぱ詰まった懸命さ、真剣さが感じられます。

 この感覚、あ、どこかで読んだ、と思い出しました。

   太宰治『女の決闘』

 あの、身も蓋もないような殺風景な、しかし神々しいという言葉でまとめても決して間違いではない「女の一生懸命さ」と同様のものが、本作読後私の心には残りました。
 やはりこれは一種の深い感動であろうと、私は静かに思うのでありました。


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Last updated  2010.08.01 20:11:07
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