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2010.09.11
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  『渋江抽斎』森鴎外(旺文社文庫)

 上記作品の読書報告の後半であります。
 前半に書いたことはこういう事でした。

 「うーん、きつい。鴎外の史伝、きつい。」

 それだけか、と言われると、うーん、たぶんそれだけですー。
 どうもごめんなさい。

 人はわたくしの文の長きに倦んだ。しかし是は人の蘭軒伝を厭悪した唯一の理由では無い。蘭軒伝は初未だ篇を累ねざるに当つて、早く既に人の嘲罵に遭つた。無名の書牘はわたくしを詰責して已まなかつたのである。
 書牘はわたくしの常識なきを責めた。その常識なしとするには二因がある。無用の文を作るとなすものが其一、新聞紙に載すべからざるものを載すとなすものが其二である。此二つのものは実は程度の差があるに過ぎない。新聞紙のために無用なりとすると、絶待に無用なりとするとの差である。


 わたくしの渋江抽斎、伊沢蘭軒等を伝したのが、常識なきの致す所だと云ふことは、必ずや彼書牘の言の如くであらう。そしてわたくしは常識なきがために、初より読者の心理状態を閑却したのであらう。しかしわたくしは学殖なきを憂ふる。常識なきを憂へない。天下は常識に富める人の多きに堪へない。

 この二文は、鴎外の『伊沢蘭軒』の第370回と第371回(最終回一回前と最終回)から抜いてみました。

 鴎外の『渋江抽斎』と『伊沢蘭軒』は新聞連載小説であります。夏目漱石の朝日新聞に対して、毎日新聞に連載されました。
 しかし、これらの作品が読者に不評だったことは、上記の鴎外自身の文章からも明らかであります。

 しかし、この鴎外の文章は「激越」でありますねー。
 私は先日、嵐山光三郎の本を読んでいたんですが、その中に特に若かりし頃の森鴎外が「喧嘩屋林ちゃん」と呼ばれていたとありました。(「林ちゃん」とはもちろん鴎外の本名「林太郎」であります。)
 ドイツから帰ってきた「エリート」鴎外は、医学界で、文学界で、片っ端から論争を挑んで、およそ負けることがなかったといいます。

 そんな「百戦錬磨」の鴎外です。自分の作品が不評であったことについて、この文章の鴎外の「居直り」は全くすごいものです。
 現在に例えてみるとこんな感じですよ。

 なに、「KY」だって? だから何なんだよ。
 「KY、KY」ってうるせーんだよ。そもそもなぜ俺が、お前たちの間の空気を読まなくちゃならないんだ。手前の教養のないことを棚に上げておいて、俺にそこまで降りてこいってどういう意味だ。
 お前たちのような無教養なものばっかりがどんどん増えて世間で大きな顔をすることの方が、国家にとっては遙かに憂慮すべき事態なんだよ!


 まさか鴎外がこんな下品なべらんめえは語らないでしょうが、言ってることは大体こんな内容ですね。
 (しかし鴎外の死後、日本の国は鴎外の言ったとおりの「無教養人」ばかりが増殖し、1945年に国家破綻したのは歴史が語る事実であります。そしてさらにその後の、現在の「無教養人」は……。)

 実は私も、本作を読んでいる途中は「面白くない」とか、「こんなことまでなぜ書くの」とか思っていました。
 しかしえらいもので(もちろん鴎外が「偉い」)、読み終えるとそれなりに感動するんですね。
 この感動はいったい何なのでしょうか。

 文庫本で三百ページ、それも内容が難解というか面白くないものを、何とか読み終えた一種の「達成感」故でしょうか。
 いえ、さにあらず、たぶん。
 私が思い当たったのは、なるほどこれが史伝の感動なのかということでありました。

 なぜなら私の感じたのに近いものを、私自身の過去の読書経験の中から思い出せば、それは『梶井基次郎全集・全三巻』の最終巻「書簡集」を読み終えた時に感じたものでありました。
 そして、『梶井基次郎全集』を読んだことは、私の読書体験の中で、最も重要な、そしてもっとも感動的な体験だったと、私は今に至るも考えております。


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Last updated  2010.09.11 07:55:26
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