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2010.10.06
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カテゴリ:明治期・浪漫主義

  『二人女房』尾崎紅葉(岩波文庫)

 「ああ、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」

 えっと、この文は、冒頭の今回の報告の小説ではありませんね。同作家の代表作『金色夜叉』であります。なぜこれを引用したかといいますと、まぁ、次の文章を読んでみてください。

 晩酌をする亭主です。徳利が空になって、もう少し欲しいと女房に言います。女房は、渋々少しばかりお酒を注いでお膳の上へ……。

「もうこれこれですよ。」
「今度は狆扱ひだ。あとのはお預けかね。」
 とにたにた笑ひながら徳利を持つて。余り軽いのに驚いて。思はず。「ほい。」と声を懸けて。少時考へたが。
「怪しからん。酒だと思つたら。此中に子供を入れて来たな。」
「また冗談ぢやありませんよ。早く上るなら上つて了つて。相談を決めませうよ。」
「いや。何でも子供が入つてゐる。」
「なぜで御座いますよ。」と希有な顔をする。
「なぜでも可いから。一寸振つて見な。」
 女房は何の気も着かず振つて見る。
「そら。そら。ぼつちやんぼつちやん。」


 前者『金色夜叉』が明治三十年新聞小説として連載開始、後者『二人女房』が明治二十四年の発表であります。

 文学史の本を見ますと、『二人女房』の文学史的評価は「である」文体の定着とあります。なるほど、作品の中盤以降、「である」文体がかなりきちんと処理されています。
 かなり読みやすい感じです。
 こうして本作などの文体実験を重ねて、名作『多情多恨』や冒頭の『金色夜叉』が生まれたわけですね。

 ただ、今回私が二作品の比較を通して示そうと思ったのは、読めば分かりますが、「読点」についてなんですね。
 六年の時差をもって発表された二作品のこの違いは、単に尾崎紅葉一人の修練の賜物というだけではなく(もちろんそれも当然ありますが)言文一致運動の黎明期に於いて、こんなふうに多くの作家たちが、本当にいろんな試行錯誤をして、そして読点を作り出していったんですよねー。

 ところでこの読点のない文は、初めはかなり違和感がありますが、読んでいくとさほどでもありません。結構抵抗なく読めるものです。

 さて。本作でありますが。なんといいますかー。構成については。うーん。「破綻」なんて言葉が野暮に感じるような。そんな見事な破綻ですね。
 (って、こんな感じですね。)

 読みながらタイトルについてもあれこれ思っていたんですが、『二人女房』って、どこから来ているのでしょう? (最後まで読めば、まぁ分からないでもないですが、きっとこのタイトルも、構成上の思惑違いがあったんだろうなと思います。)
 「上・中・下」三部に分かれている「下」の始まる前後になっていきなり「小姑」が出現したり、姉妹それぞれの結婚話の分量的バランスの悪さや、そして唐突の「エンディング」などなど。

 そもそも「構成」なんて考え方が、あまりなかったのかも知れませんね。
 ほぼ同時期の幸田露伴の『一口剣』なども、完全にお話が二つに割れていましたし。
 (しかし、作家が構成について考えないなんて、そんなことってあるんでしょうか。)

 ともあれそんな時代の作品であります。
 ただ、上記に挙げた『多情多恨』などは、時代を勘案する必要もなく近代日本文学が誇る名作の一つだと思いますし、『金色夜叉』も含めて紅葉の作品は、上記引用文からも分かるような諧謔味大いに漂う文体など、今読めばとても親しみを感じる、どこかあっけらかんとした面白さを持っています。

 かつて漱石は、藤村の『破戒』が出版された時、『金色夜叉』は残らなくても『破戒』は残るだろうという趣旨のことを言ったとききます。
 なるほど、そうなっているとも思いますし、いやそう簡単にはいっていないという気もします。

 そんなことを考えていきますと、紅葉の没年三十六歳というのは、詮なき事ながらやはり惜しんで余りあると、つくづく私は感じるのでありました。


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Last updated  2010.10.06 06:39:50
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