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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2010.11.27
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  『一条の光・天井から降る哀しい音』耕治人(講談社文芸文庫)

 本書のような、いわゆる「老人文学」というのは、一体いつ頃からあるんでしょうね。
 私のリアルタイムで知っている範囲で言いますと、有吉佐和子の「恍惚の人」でしょうか。ネットで少し調べてみたら、1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版されたとありました。ベストセラーになったんでしたよね、確か。

 その頃私はまだ十代の少年でしたが、多分親が買ってきたか何かでそのついでに読んだ記憶があります。
 しかし、かなり他人事で読んだように覚えています。年を取ると大変なんだナー、くらいの、ほぼ何も考えていない感想ですね。

 今でも大概私はお気楽な人間ですが、十代の頃ってほとんどニホンザル程度の思考能力しかなかったように、今となっては振り返りますなー。ははは。
 (ひょっとしたら、ニホンザルほどもなかったかも知れません。右手を前に置いて「反省」をするニホンザルがいますが、あれほどの哀愁も内面性もなかったように記憶します。)

 しかし、若いということは考えれば愚かなことで、自分も必ず年老いていくと言うことが、ほぼ分からないんですよね。
 それはたぶん、死ぬことについてもその瞬間まで信じられないのと同じでしょう。

 でも、それって多分ほとんどすべての人間において同様なんでしょうね。
 いつだったか養老孟司氏の本を読んだ時、現代人は己が死ぬことを信じられないでいると言った趣旨の文章に出会った記憶がありますが、しかしそれは別に「文明病」でもないのかも知れません。
 だって『伊勢物語』の中にもこんな歌がありましたよ。

  つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを

 結局この様な感覚で我々は死を迎えるんでしょうねー。
 しかし、先日また養老氏の別の本を読んでいたら、こんな感覚で死を迎えるのが一番いいんだといった文章に出会いました。
 なるほど、そういわれればそうかも知れません。

 死を見つめていても仕方がないことは、誰の文章でありましたか、「死と太陽は見つめては行けない。見つめると目が潰れる」といった「アフォリズム」があったように思います。

 さて、冒頭の小説の読書報告に戻りますが、実は私は、この本は再読であります。
 以前読んだのは多分十年以上も前だと思いますが、結構印象的で、いい本だと思ったような記憶がありました。

 それでまぁ、今回再読して見たんですがね。しかし、何というか、えらいものですねー。
 何がえらいものかというと、「老人文学」も進化しているんだなということであります。
 前回読んだようにそれなりに凄いお話だなと思った一方、十数年前に読んだ時に感じた「独創性の高さ」は、あまり感じられなかったんですね。

 つまり、こういった「老人文学」は、その後、「かなり」とは言わないまでも、結構目にするような気もするし、何より老人を巡る社会状況(ひょっとしたら「社会を巡るように取り囲んでいる老人の実態」)が大きく様変わりしている、つまり、「進化」しているのではないか、と。

 この短篇集の総題にもなっている『天井から降る哀しい音』と言う作品は、共に80才の老夫婦の話です。
 家内に老人惚けの症状が現れ始め、食事準備のコンロの火が危うく火災になりかけ、町内の人に相談をして警報機を天井に取り付けてもらいます。
 ところが後日、また鍋の支度をしていて危なっかしいことになり、警報機が鳴り始めます。家内はその音のことを
 「なにか音がしているみたいね。玄関のベルかしら」などと呟いたりします。
 しばらくしてようやく鳴りやむのですが、その後の、この小説のラストシーンです。

 その音はリンリンという勇ましい音でもなく、ガアガア、がなり立てる音でもない。それほど高くないが、助けを求めるような、悲し気な音に聞えた。
 やがて止んだ。
 私ははじめて鳴る音を聞いたのだ。
 (中略)
 業者の人は取りつけがすんでから、蒸気などで鳴ることがある、と言ったのを思い出した。トロ火にかけた鍋の蒸気が、窓を閉め切った狭い台所にこもったためではないか。素人考えだが。
 その夜ベッドに入ってからも低い、悲し気な音は耳の奥から響いてきた。それを聞きながら両親、兄姉妹の法名と何歳往生と唱えながら、いつかそのあとに私八十歳、家内八十歳と付け加えていた。


 この筆者は、そもそも詩人の方だそうです。
 しかし八十歳を越えてなお、伸びやかで滑らかな文章でこうして自分の身辺を見詰め描く様は、読んでいて何か尊いような感じがします。
 ああ、こういった感覚こそが、「老人文学」に共通する魅力であるなぁと、十代の頃に比べれば、さすがに少しはいろんな事が分かるようになった(たぶん)私は、しみじみと感じたのでありました。


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Last updated  2010.11.27 09:20:42
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